「海外を知って人生観が変わった」と口にしている人を見たことがあります。
また、私自身も「海外行って人生観変わりましたか?」「やっぱり海外行くと変わりますか?」と聞かれることがあります。
さらには、「やっぱり海外が拠点の人は考え方が違うねぇ」などとも言われます。
少なくとも、私個人に関しては「海外に行ったから」ではなく「元から」違いました。
人とズレているのは自覚しており、それが原因でまともに社会生活が送れず、ダメ元で海外を拠点にしたらうまくいった、ただそれだけです。
海外に行くことで人生観が変わったんではありません。
元々人生観が人と違うんです。
※念のため言っておきますが、「人と違う俺かっけー」という話ではありません。むしろ私は日本の社会に適応できなかったダメ人間側です。残念ながら私が人と違うのは「悪い方に」です
海外旅行では難しい
忙しい日本人にとって、海外旅行というのは基本的には数日のツアーです。
そんなツアーの大半はどんなにのどかな国でも弾丸ツアーになってしまいます。
それでもたとえばピラミッドや氷河など過去の偉業・自然の驚異を目にすることで感動はできます。
短期海外旅行もツアーもそれそのものを否定するつもりはありません。
ただ、その数日で人生観が変わるほどあなたがたは薄っぺらい人生を歩んではいないはずです。
人生観は外部刺激「だけ」では変わらない
海外旅行に行ける年齢はいくつぐらいでしょうか。
仮に大学生だとしても、物心ついてから10年以上は経過しているはずです。
外部からの刺激「のみ」でその積み重ねは吹き飛びません。
自分自身が「変えたい」「捨てたい」と願っている場合のみ、変えることができます。
変わりたいと願う人のきっかけにはなる
海外旅行は短期であっても変わりたいと願う人のきっかけにはなります。
「海外に行けば人生観が変わる」と信じている人が海外に行くことで、「俺は海外に行ったから変われるんだ」という自信を持つことで変われるという側面はあります。
そしてそれ自体を否定するつもりはありません。
どんなきっかけであれ「そうありたい姿」になるべく行動できるのであればそれはよいことだと思います。
つまり
「人生観を変えたい人」という、もともとちょっと考え方が違う人だけが海外に行って人生観を変えることができます。
「人生観を変える」というより、正確には「自分の思考にマッチした人生観に修正する」だとか「自分のズレた思考が受け入れられる世界があることを知る」という表現に近い気がします。
他人に連れて行ってもらっても変わりにくい
「海外で人生観が変わった人」の中には、日本で暮らしている人に海外の魅力を語り「お前も海外に出たら変われるよ」と口にする人がいますね。
相手が変わりたいと思っているのならいいのですが、そうでない場合は変わらない可能性が高いです。
特に海外慣れしている人に連れて行ってもらう場合、自分で何かをすることが極端に減ります。
現地の人との交流も案内してくれる知人に頼ることになるでしょうし、航空券の手配から宿の予約、さらにはチェックイン、そしてレストランの選定から注文に至るまで自分ですべてをやることはまずないでしょう。
それでも日本と違う世界を垣間見ることで何か感じるものはあるはずなので「絶対に変われない」とは断言しませんが、やはり「言葉も満足に通じない世界を一人で切り抜ける」という一人旅と比べると可能性は極端に下がるはずです。
案内してくれる人が気を許せる友人であれば、場合によっては「テーマパークに遊びに行くこと」と変わらないかもしれません。
自分自身が変わるつもりがないのなら、過酷な大自然を経験したり不便な生活をしても、「ああ、やっぱり実家が落ち着くなぁ」くらいの感想しか出てこない可能性もあります。
最後に
「海外に行くと人生観が変わる」は正確な表現ではありません。
「人生観を変えたいと思っている人が海外での出来事をきっかけに人生観を変えた」が正確な表現です。
ただし、短期の海外旅行、特にツアーや友人引率などのガイドの後をついていく旅行では人生観が変わるほどのインパクトは得にくいです。
それでも「俺は海外に行って人生観を変えるんだ」と強い意志を持っているのなら、少ないチャンスを活かすことはできるかもしれません。
もしあなたが本気で人生観を変えたいと思っていて体力と時間が余っているのなら、バックパッカーに挑戦してみてください。
最低限の着替えとパスポートと数万円と海外でも使える日本の銀行のデビットカードを持って一人で知らない国に行ってみましょう。
不安や困難が待ち構えていますが、それらを乗り越えられれば「俺は変われるんだ」という自信が身につくかもしれませんよ。
今は物価の安い国でもネットがつながるので、SIMフリースマホとノートPCを持って行けばネット経由でお金を稼ぐことも可能です。
年単位で海外にいれば、「日本国内の常識」「日本人の同調圧力」などへの違和感には気付くことができます。
ただし、それがいいことなのかはわかりません。
日本国内の常識がなければ再就職が難しくなりますし、入社できたとしても同調圧力に全く気付けなければ協調性がなくなり出世できないどころかリストラされる可能性すらでてきます。
「常識」も「同調圧力」も多少は持っていないと集団生活ができないということは忘れないでいたいですね。