新型コロナウイルスの収束が見えない中、yahoo newsにこんな記事が掲載されていました。
タイトルは「コロナで変化したミニマリストたち 備蓄も重視する新スタイル【#コロナとどう暮らす】」です。
序盤でインタビューを受けた人の様子があまりにも極端で「ミニマリストを悪く見せよう」という意図を感じてしまいました。
ニュース概要
ヤフーニュースはすぐ削除されてしまいますので、概要をまとめておきます。
家具や車、持ち家までも捨てたミニマリストが新型コロナウイルスの影響で備蓄の必要性に目覚め、冷蔵庫も収納庫もパンパンになった。
ミニマリストは家にスペースがあるからいざと言う時に備蓄がしやすい。
脱ミニマリストを宣言したことで他人の目を気にせず自由に生きられるようになった。
(上記とは別の方へのインタビューにて)「ミニマリスト」の本質は「モノを捨てること」ではなく、「過不足ない生活を送ること」
引用:ヤフーニュース
結局変わったのは極端な人だけ
ニュース記事内でも最後に語られていますが、「ミニマリスト」の本質は「モノを持たないこと」ではありません。
ですが取材された「変化したミニマリストたち」は家族がいるのに小さな防水テレビをシェアしたりという「モノを持たないこと」を目的とした人たちです。
テレビでも自称ミニマリストの主婦が勝手に旦那のコレクションを捨てては大炎上していますが、あれも本来の「ミニマリスト」ではありません。
取材されているミニマリストたちは新型コロナウイルスの影響で考えを変え半年近い生活用品を買い込んでいます。
こんな極端な人をミニマリストの例に挙げたら叩かれるのは当たり前のような気がします。
本当のミニマリストとは
ニュース記事内では終盤でフィリピンに移住しているミニマリストが登場しますが、こちらはスーツケース1つとリュックを1つ持っての生活です。
ちなみにこの方は「スーツケース1つで世界を飛び回ることがミニマリストではない。ちょうどいいサイズは人それぞれ」と語っています。
この「人それぞれ」はとても重要な考え方ですよね。
定義に縛られ過ぎる日本人
日本では定義に縛られ過ぎて極端な人がとても多いです。
これはよく「目的と手段が反転している」と表現されます。
ミニマリストであれば、「過不足なくモノを持って生きる」のが目的のはずが「捨てること」という手段に注目が集まるあまり必要なモノまで捨ててしまい苦しんでいるケースが多発しています。
私は「外こもり」ですが、これも「自称専門家」から「それは外こもりとは言わない」とよくお叱りを受けます。
「生活費が月額10万円は高すぎる」だとか「ネットで稼いでいるのは外こもりではなく海外ノマドだ」だとか。
「ドミトリー(タコ部屋)に泊まらないのは贅沢」「食事に気を付けるなんて贅沢」などと意味不明なことを言われることもあります。
自分が何をしたいのかという目的が重要なのであって、主義主張のカテゴライズである「ミニマリスト」「外こもり」などの呼称やその定義に沿った行動(手段)に縛られる必要はありません。
(犯罪など他人に迷惑をかけない範囲で)自由にすればいいんです。
平成後期から令和の「個性を重要視する時代」というのはそういうことなのではないでしょうか。
最後に
「新型コロナウイルスでミニマリストが変わる」というようなヤフーニュースでしたが、内容は極端なミニマリストが反転したという記事でした。
ミニマリストが何の目的でモノを持たないのか理解していない人が極端なことをしているだけに映りました。
もちろん記事の書き方がそうなっている、または私自身が勝手にそう捉えたというだけで、実際のインタビューを受けた方々がどう考えていたのかまではわかりません。
また本来のミニマリストの定義と日本での定義は異なりますし、極端に見えても本人が(家族も満場一致で)満足しているのであればそれでいいとは思います。
今回の災厄で備蓄の必要性を感じたのであれば(他人にいきわたらないほど買い占めるのはNGですが)好きにすればいいですよね。
テレビの影響で「ミニマリスト」は何も持たず、家族のモノまで捨てようとする人という悪評が立っています。
ですが本質は「必要以上にモノに囲まれず、過不足ない状態で満足すること」のはずです。
「過不足」は多すぎても少なすぎてもダメです。
だから捨てすぎて生活に支障をきたすようではダメなんです。
それが幸せだというのであればいいのですが、ミニマリストという看板を意識しすぎて苦しむのは本末転倒です。