「逃げてもいいんだよ」という言葉は無責任すぎると怒る人が多く、今や「逃げてもいいんだよ」という言葉を真に受ける人はほとんどいなくなりました。
それでも私は「逃げてもいいんだよ」と言い続けています。
逃げるという行為をとにかくネガティブに捉え「逃げる=人としてダメになる」と考えている人が多すぎます。
どうでもいいことやメリットがないことからはどんどん逃げましょう。
もちろん勝負すべきところではプライドも根性も気合も総動員して歯を食いしばるべきです。
でもそのためには、どこが勝負すべきところなのか、はっきりさせておく必要がありますよね。
逃げてもいいんだよ
たとえば学校でいじめを受けていたり、会社で先が見えない働かされ方をしているのなら、逃げていいんです。
それを耐える必要はありません。
耐えたところでたいして得られるものはありません。
今いる環境が自分の世界の全てだと勘違いしてしまうことは多く、そこから逃げると人としてダメになると思い込んでいる人は多いです。
学校というのは一つの社会であり、そこからはみ出すことは許されないという風潮は根強いです。
会社についても、未だに終身雇用の名残りで一つの会社に長く勤めることが偉いこと、働いていない空白期間がある人間は問題があるなどの偏見があります。
ですが、それらは広い世界の中の極めて狭いグループの中での常識にすぎません。
そこ以外にも生きられる場所はたくさんあります。
逃げてはいけない「勝負すべきところ」とは
イジメや搾取されるなどの被害を受ける場からは逃げてもいいです。
ですが、勝負すべきところでは全力で向かっていきましょう。
勝負すべき場面は、逃げることで失うものよりも立ち向かって得るものが多い場面です。
たとえば毎日残業が続くようなプロジェクトであっても、それを完遂することで得られる経験やその後の昇進などのメリットのほうが大きいのなら逃げずに立ち向かうべきです。
もう一つの勝負すべき場面とは、「自分がやりたいこと」に関する難関にぶつかったときです。
何の仕事をしたいですか?
何をして食べていきたいですか?
今は初心者だったり趣味のレベルであっても、成長してそれを仕事にしたいと考えているのであれば、苦しい練習にも歯を食いしばって耐える必要はあります。
もちろん、練習方法はたくさんあるのでよく考えて自分にあった方法を選択すべきです。
辛くない練習方法で上達できるのであれば、それがベストです。
つまり、リスクよりリターンが上回る場面では勝負すべき、ということです。
勝負すべきところを間違えている人が多い
私がIT企業の新人研修をしていた頃、高校・大学を卒業したばかりの若者が「オレは絶対Yシャツの一番上のボタンを締めません」とか「足を組まないと全力が発揮できません」とか主張してくることがありました。
もちろん彼ら彼女らのその主張は半分誇張であり、私が新人たちと同じ目線で話せたから引き出せた話(舐められていたとも言う)です。
これらは勝負すべきところを明らかに間違えていますよね。
もし本当にYシャツの一番上が締められないのならそれはサイズが間違っていますし、足を組まないと辛いのならそれは姿勢を正せばいいんです。
そういうどうでもいい場所でも逃げずに戦っていると疲れてしまい本当に大切な場面で戦う力が残っていないということになりかねません。
好きなことで生きていくのは逃げてばかりなのとは違う
やりたいことをやって生活費を得るというのは、多くの人が夢見る生活スタイルですよね。
好きなことを仕事にすれば毎日充実した生活が送れそうです。
ですが、実際には好きなことであっても様々な面倒な出来事が襲い掛かってきます。
仕事を受注しているのであれば、依頼側の無理難題に付き合わされたりしますし、個人事業者としてやっていれば毎年2月頃のアレとか超面倒です。
ですがここは逃げていいところではありません。
好きなことで生きていくために勝負すべきところです。
ちなみに、「勝負」というのは喧嘩をしたり言い負かしたりすることではありません。
相手の言い分も聞き、折れるところは折れ、譲れないところを守り切るのが大切です。
最後に
現状が辛く、続けることにメリットがないのであれば逃げてもいいです。
将来が見えないのならば辞めましょう。
でも、その困難を乗り切るメリットがその場から逃げるメリットより大きいなら立ち向かいましょう。
特に自分がやりたいことをやり続けるために襲い掛かってくる面倒事からは逃げてはだめです。
そこから逃げてしまうと、やりたいこともやれず何もない人間になってしまいます。