2020年2月下旬にTwitter上でとあるツイートがバズっていました。
その内容はざっくり言うと「祖父が二人姉妹の孫の姉をかわいいと言った。無神経だ」という内容でした。
※ツイート主に迷惑がかからないよう一部内容をぼかしています
孫にかわいいと言う事すら許されない世界になるのでしょうか...
目次
ツイート主は何を言いたかったのか
どうやら、「妹がかわいそう」ということだそうです。
妹がかわいいと言われないのは差別になるということでした。
実際に姉妹で「言われなかった側」として辛い思いをしたのでしょうね。
かわいいは差別?
確かに言われなかった側は辛い思いをしそうですね。
ですがそれで本当にいいのでしょうか。
かわいいを禁止された子どもの末路
姉妹とも外見に触れられずに育った家庭はどうなるのでしょうか。
小さい頃にかわいいと言われ慣れていないと、自分をかわいいと感じることができなくなります。
私の周囲には実際にそういう子ども時代を過ごした人もいましたが、他人からかわいいと言われてもお世辞だと思いこんだり、最悪の場合は嘲笑だと判断したりすることが多かったです。
かわいくなろうとする努力に対し恐怖を感じ、親が与えた服しか着なかったり化粧をしなかったりします。
「自分なんかががんばってもかわいくなれない」という脳内の声に立ち向かうことができなくなります。
それでいいのでしょうか。
差別用語認定ではなく、価値基準が1つでないことを教えればいいのでは
外見がかわいいことは魅力の1つですが、それだけで子どもの価値が決まるわけではありません。
明るく人見知りしなかったり、おべんきょうが得意だったり、歌がうまかったり、独創的な遊びを考えることができたり。
外見のかわいさもその数ある魅力のなかの1つだということを教えていけばいいのではないでしょうか。
そうすれば、その子が大きくなったときに他人を外見だけで判断してしまうような人間には育たないはずです。
ただし比較はNG
私は「かわいい」を禁止する必要はないと思いますが、姉妹の場合に「〇〇ちゃんはブサイクだけど□□ちゃんはかわいい」という比較は避けるべきだとは思います。
「□□ちゃんはかわいいね、〇〇ちゃんはおうたがお上手だね」とそれぞれを褒めるようにすれば二人とものびのび育つような気がします。
少なくとも、「〇〇ちゃんはブサイクだけど□□ちゃんはかわいく育った」という片方を貶める言い方はNGです。
ただしこの比較相手を貶める言い方は昔から嫌われる表現です。
今更言い出さなくても使わないように気を付けている人のほうが多いですよね。
劣っている方にあわせたらネガティブに成長する
「かわいい」と言ったらかわいくないほうが可哀想という思考は、つきつめると劣っている方に全てを揃えるという考え方に行きつきます。
これは「出た杭は打たれる」という思考に結びつきそうですよね。
「〇〇ちゃんはできていないのだから□□ちゃんも我慢しなさい」という育て方はとても危険です。
私の家庭がまさにそうで、優れた結果を出しても隠すような生き方を強要させられたり、うれしいことがあっても顔に出さずにいることを美徳と教えられたりしました。
優れた結果やうれしいことがあったときに喜ばないと、その能力は伸びにくいです。
最後に
「孫に向けて祖父が『かわいい』と言った。差別だ」というツイートが話題になっていて驚きました。
しかも多くの方が賛同していました。
私にはちょっと理解できませんでした。
私は外見のかわいさが最大の関心ごとではないので、面と向かってブサイクと言われるのでなければ特に問題はないような気がします。
姉妹の片方にだけかわいいと言っていることは暗にもう一人をブサイクと言っていることになるそうですが、「かわいいと言われなければブサイク」というのは極端すぎます。
「100点じゃなければ0点」と言っているようなものではないでしょうか。
かわいいは差別!言われなかった側がかわいそう!!
というのはちょっと無茶な発想に感じました。
追記
私がこの主張を正しく理解できていない可能性は高いです。
賛同者が多いということは、私が重要な主張を見落としているのかもしれません。
主張の中心が「かわいいは差別」ではない可能性もあります。