「自分なりに頑張ってるんすよー」という言葉は、一般的には「ダメな人が使う言葉」と感じられるようです。
場合によってはこのセリフ単独で爆笑されることすらあります。
なぜダメなのでしょうか。
理由を考えてみました。
なお、当記事は私の個人的な意見にすぎず、正解であるとは限りません。
この世には「唯一無二の正解」が存在しないケースがたくさんあります。
特に「何かの理由・原因」は様々な要因が絡むため、視点が変われば正解も変わります。
その点に留意して読み進めてください。
目次
自分なりに頑張ってるではダメな理由
社会人の場合、仕事において「自分なりに」では問題があります。
給料に相当する働きをしなければ会社側にとってはお荷物です。
要は「周囲が求めている最低限のラインに届いていないのに勝手に満足してもらっては困る」ということです。
「自分なりに」と頭につける理由
これは会社員に限った話ではありませんが、「自分なりに」というのは「人はそう思わないかもしれないが自分では頑張っているつもりです」という意味にとられます。
となれば、この言葉を口にする場面は「結果が伴っていない状況での言い訳のシーン」ですよね。
周囲も満足するような結果が出た時には「自分なりに」頑張ったとは言わないでしょう。
「自分の限界まで頑張った」という意味で使っている人が大半だとは思いますが、それでも周囲から見れば「もっと頑張れるだろう」と感じてしまうのです。
意識高い系の「自分なりに頑張ってる」
意識高い系の場合、聞かされた側は「そもそも頑張っているのはポーズだけ」という捉え方をします。
私もそう思います。
多くの意識高い系はおしゃれなかっふぇーでちょっと齧った後のある林檎のマークのスタイリッシュなノートパソコンを開いてLINEをしたりYouTubeを見たり、折り目のないきれいな教科書をこれみよがしに置いてアピールをしますよね(偏見)
そこまでではなくても、「頑張っている俺かっこいい!見て見て!!」というタイプの人は、見栄えのする工程ばかりをひけらかし、地味に愚直に繰り返さなくてはいけない努力の工程を蔑ろにしているように見えます。
私は海外で暮らしているのでたくさんの意識高い系さんとすれ違いますが、実際に「努力なんてカッコ悪いっすよwwwクールに行きましょうよwww」と言っている人を数人見ました。
地道な努力の工程を(実際には人よりやっているのに)他人に見せずにキラキラした結果だけ見せるのならいいのですが、ほとんどの意識高い系は結果が伴っておらず地道な努力の影が見えません。
だから意識高い系の「自分なりに頑張っている」は構ってアピールに見えるため嘲笑されるのです。
意識高い系と意識高いの違い
私は「系」のありなしで意味を明確にわけています。
「意識高い系」の人は、意識の高い言葉を使い努力を避けてスタイリッシュに生きようとする人(またはそういう人に憧れて真似する人々)です。
努力を一切せずにスタイリッシュな目的を達成するのはほぼ不可能です。
「努力を努力と思わない」という言葉遊びをした上で結局行動を積み重ねるのであれば、「私の定義では」その人は意識高い系ではなく意識高い人です。
「意識高い」人は目的を明確にし、その目的に到達できるように努力を重ねる人です。
大きな夢を口にして、そのための階段を一歩一歩着実に歩んで行く人です。
どちらも一見叶いそうにない目的や目標を掲げるため同じように見えますが、結果は大きく違います。
当然ながら、私は「意識高い人」に敬意を払いますし、「意識高い系」は嘲笑します。
ネット副業を含むフリーランスの「自分なりに頑張ってる」
当然ですが、フリーランスの大半は成果報酬型なので結果が出ないとお金がもらえません。
(パパやママを含む)パトロンでもない限り、「完成しませんでしたが自分なりにがんばりました」と言ってお金をくれる人はいないでしょう。
「ネット副業はだれにでもできる簡単なもの」という勘違いで始めた人の中には「自分なりに頑張っているけど収入が発生しない」という人がいるかもしれません。
自分なりにではダメです。
取引相手の要求に応えられる結果が出なければどんなに頑張っても自己満足の範囲です。
趣味の世界での「自分なりに頑張っている」
ここまでは全て仕事の話でした。
一方、趣味の世界であれば「自分なりに頑張っている」は笑われる筋合いはありません。
自分のできる範囲で自分なりに楽しめればいいですよね。
子どもの「自分なりに頑張っている」
社会人ではない子どもも「自分なりに頑張っている」でいいでしょう。
いっぱいママに褒めてもらってください。
ただ、受験や大会など他者がライバルになる状況では「自分なりに」という自分本位な指標は何も意味がありません。
成長していく過程で、「自分なりに頑張っている」という言葉を使うシーンが減っていくといいですね。
最後に
ということで、仕事などの場面では「自分なりに頑張っている」と口にしても、結果が出ていない以上意味がありません。
仕事の多くは他者との勝負となる世界、または結果が求められる世界です。
そこで「自分なりに」という自分本位な主張をしてもあまり意味はありません。
多くの場面では、頑張ること自体は評価対象ではありません。
「頑張ったらご褒美が貰える」というのは子どもの頃の特権です。
大人になって「自分なりに頑張っている」という言葉を笑うのは、子どもっぽく見えるからというのもあるのかもしれませんね。