「自分には才能がない」が口癖の人は多いですよね。
才能という単語を勘違いしているように思います。
才能って、いきなりトップクラスの能力が披露できることじゃないですよ?
もし才能にそういうイメージを持っているのだとしたら、アニメや漫画の読みすぎです。
才能とは
goo国語辞典では
物事を巧みに成し得る生まれつきの能力
と書かれています。
間違っています。
「生まれつきの能力」だとしたら、この世の誰もが「二足歩行する才能」すらないことになります。
あるとしたら息をする才能と泣き声を上げる才能くらいじゃないでしょうか。
屁理屈に感じますか?
ならばどの段階からが才能扱いできるのでしょうか。
成人したタイミングでしょうか。
就職したタイミングでしょうか。
ちなみに「初めて挑戦したときにいきなりうまくできること」を才能と考える人もいますが、多くの場合それまでの人生経験によって似たようなことをしているためうまくできているにすぎません。
つまり、どんなものであっても新しく始めるなら誰もが先天的才能のない初心者からスタートするんです。
「あの人は才能がある」という人だって、その時点では高い能力を発揮していたとしてもそれまでにたくさんの努力を積み重ねています。
才能を再定義
才能とは
物事を巧みに成し得る後天的な訓練によって得られた能力
です。
「後天的な訓練」で得られます。
もちろん、そのジャンルの第一人者になるのは難しいです。
トップクラスは技術だけでなく感性が必要なケースが多いです。
他人からの評価が必要なジャンルの場合、世間の流行と自分の感性がズレているとトップにはなれません。
でもそれは「自分には才能がない」と言い訳して行動しないような人のレベルの話ではないです。
必要な能力とは
何に挑戦するのだとしても必要なのは才能ではありません。
才能は後から身に着けることが出来ます。
ということで必要なのは「苦しまずに努力できる能力」です。
最近ではそれすらも「努力する才能がない」というトンデモ理論を主張する人がいるので驚きます。
その人たちは努力をつらいものだと思い込んでいます。
小学校や中学校で「努力して勉強すること」を強制されたことで努力という言葉への拒絶反応が出てしまっているのです。
そして、低学歴の人たちは「これまで何も努力できなかった」と自己嫌悪に陥るのです。
でもよく考えてみてください。
たとえば...
・自転車に乗るために努力しませんでしたか?
・野球やサッカーなど、友達との遊びをうまくなろうと努力しませんでしたか?
・PRGゲームのレベル上げは?
・アクションゲームで何度もゲームオーバーになってやり直した記憶はないですか?
・異性を振り向かせるために自分を磨いたり戦略を練ったりしませんでした?
これらは「努力と思わず楽しんでやっていた」ものが多いでしょう。
それでいいんです。
楽しかろうが辛かろうが、できないことをできるように訓練することは全て努力です。
そうは言っても今やらなきゃいけない努力を楽しむことはできそうもない...
人生が受け身だった人は、今もやりたくもない努力を強制させられていることでしょう。
たとえば学生ならやりたくもない勉強を強制させられているかもしれません。
社会人はノルマや上司のご機嫌取りを強制させられているかもしれません。
あなたがやりたいことは何ですか?
好きなことで生活できるなら何がしたいですか?
そのために努力してもいいと思えるものはありますか?
やりたくない仕事はやらなくていいです。
いきなり無断退職はNGですが、日々の生活費を稼ぐために辛くてつまらない仕事をしたくないのなら辞めましょう。
好きなことで生活するために、楽しい努力をしてください。
最後に
私は「自分には才能がない」と言い訳する人によく遭遇しますが、彼ら彼女らは才能を「何の努力もせずにいきなりトップレベルの実力を発揮できる特殊能力」と勘違いしているようです。
アニメ・漫画で大流行している「異世界モノ」の見過ぎです。
あれはフィクションです。
現実では何の訓練もせずにいきなりトップ集団の仲間入りはできません。
だから「自分にも隠れた才能があるかもしれない」と夢見るのはやめましょう。
才能は努力・訓練の積み重ねで発揮される後天的な力です。
才能を活かした生き方をしたいなら、努力をツライと感じないようなジャンルを見つけましょう。