ジョージア(旧名・グルジア)はトルコの東にある、黒海の隣の国です。
日本ではジョージア料理のシュクメルリが話題になったことがあります。
物価がとても安く、ビザなしで1年滞在できたため新型コロナウイルス発生直前頃に「外こもり」「海外移住」などの候補地として話題になりました。
私はこの国に新型コロナウイルス発生前から住んでいます。
この国には、物乞いがいます。
東南アジアと比べ、高齢な方が多いように感じます。
もちろん年齢が1ケタ台の少年少女が素足でダンボールに座っていることもあります。
私は「物乞いには絶対にお金をあげてはいけない」という考え方ではないものの、長年物乞いを見てちょっと思ったことがあります。
なお、当記事はあくまで「私が思ったこと」というただの一個人の感想であり、読んでくださっているあなたに強制するものではありません。
もしあなたの考えと異なるのであれば、「そういう考えもあるのか」という別の視点の参考にするか、理解できない場合は「ふ~ん」とスルーしていただければ幸いです。
目次
子どもは仕方がない
私は初めて海外で物乞いというものを見たときから一貫して「就業できない年齢の子」には自分の懐が痛まない程度に小銭を握らせてもいいと思っています。
※「いいと思っています」というだけであり、他人に強制しないどころか私自身も気分によって(お金に余裕があっても)渡さない時もあります
この子たちは衣食住などを含めた「ただ生きるだけ」の基本的なことすら親などの保護者に頼らざるを得ない状況です。
「保護者」がきちんと保護できない人だった場合、子どもたちは物乞いをさせられている事に反対することが難しいです。
保護者から「お前はあそこに座って観光客から金を貰ってこい」と指示されていた場合、私たちが与えたお金は高確率で保護者に奪われます。
「だから与えてはいけない」と主張する人も多いですね。
ですが、もし誰もお金を与えなかったらどうなるでしょうか。
保護者は「物乞いすらちゃんとできないのか」と折檻を働くかもしれません。
食事を与えない可能性だってありますし、罰として外に放り出すことだって考えられます。
だから私は「おそらくその子自身の稼ぎにならないだろう」とうすうす思いながらも、小銭を握らせることが多いです。
また、スーパーの帰りに遭遇した場合などであればお菓子やパンなど「その場で食べられるもの」を一緒に渡すこともあります。
ただし誠実な子に限る
ジョージアでは、子どもたちが徒党を組んで物乞いをしているケースがあります。
これまで遭遇した子どもグループには、確実に数人「泥棒」が混じっていました。
私は物乞いには小銭を渡しますが、泥棒にはそれ相応の対応をします。
ちなみにここで言う「泥棒」とは、勝手にポケットや鞄をまさぐって中身を奪おうとする行為を指します。
私は海外で「勝手に開けられる場所」に金目の物を入れていないので被害そのものは発生し得ないですが、「いいものがあったら奪ってやろう」という思いを持っていることそのものが許せません。
だから私は物乞い集団に一人ずつ小銭を手渡している最中であっても、この手の泥棒行為をしている子がいたら殴ってでもその場から離れます。
「海外を旅行している外国人から財布を奪おうとする行為」によってその外国人が被る被害を想像できない人間は、たとえ子どもであっても許せません。
裏組織の資金源になっている説(笑)
ネット上ではたまに「物乞いに金を渡すと裏組織に資金が流れるからあげてはならない」という都市伝説をみかけます。
極々まれに、リアルでもそれを主張している人がいます。
私は、この裏組織説()に否定的です。
理由は簡単です。
「割に合わないから」です。
物乞いはどう考えてもコスパが悪いです。
私にように子どもに甘い人間であっても、手渡すのは小銭です。
ジョージアや東南アジアなど物価の安い国では、物乞いが受け取る小銭は日本円換算で100円にも満たないことがほとんどです。
1時間物乞いをしてもおそらく500円も手に入らないでしょう。
実際の現地人たちの反応を見ると、1時間で1円も手に入らないことだってあり得そうです。
都市伝説の裏組織()が何を意味しているのかわかりませんが、私が想像しているものが正しいのであれば、この裏組織は社会のルールを守らないはずです。
だったらこんなコスパの悪い仕事なんてさせません。
私が裏組織()のドンなら、もっと効率よく稼がせます。
倫理観や法律を無視していいのなら、道端で小銭をせがむようなチマチマしたことなどやってる場合ではありません。
ここには書けないようなあんなことやこんなことをさせれば日本の平均月収を超える稼ぎだって夢ではありません。
だから、「子どもの物乞いのバックには裏組織がある」という都市伝説はフェイクだと思います。
成人した大人の物乞いは許さない
私は子どもの物乞いには基本的に甘いです。
ただ、ジョージアには子どもの物乞いだけでなく大人の物乞いも多くいます。
特に私の住むアパートの周辺と私自身の行動エリアに限れば、大人の物乞いの方が多いような気すらします。
私は成人した物乞いにお金を与えたことがありません。
その理由は「働こうと思えば働けるから」です。
物乞いの中には手や足を失っている人もいます。
その人たちは力仕事などはできないでしょう。
だからできる仕事は限られます。
でも、ゼロじゃないはずです。
少なくとも、恥ずかしげもなく道端で見知らぬ人に「金をくれ」と言えるだけの度胸(?)があるのなら、そして日がな一日道端に座り込んでまにーまにーと言い続ける時間があるのなら、今からでも勉強して稼げるスキルを得ればいいだけです。
やつらは「働きたくない」だけでは?
「物乞いは全てを失った人だ。だから何かをするのにも元手がないから稼げないんだ」と反論する人がいます。
しかし、私はそうは思いません。
もちろん「働きたいけど仕事も元手もなく、物乞いするしかない人」もいるでしょう。
ですが、私が「私の下でちょっと働かないか?」と声をかけた物乞いたちは一人も就業初日に顔を見せませんでした。
もちろん私はこの世の全ての大人の物乞いに声をかけたわけではないので、たまたまハズレを引いただけという可能性もあります。
ですが、10人を超える人たちに事前に説明をして、現地の平均給料より高い報酬を約束したのにも関わらず全員がスルーしたんです。
「物乞いは働く気がない」と判断したくなる気持ちはわかってもらえるのではないでしょうか。
私がお金をあげた「例外」の大人たち
ジョージアの首都・トビリシでは、声が出せない障害を持った人たちが手作りのキーホルダーを売り歩いています。
これもある種の物乞いにカテゴライズされるそうです。
私はこの人たちにはお金を渡したことがあります。
この人たちはキーホルダーを作り、それを売っています。
「何かをしてその対価を得る」という行為は私にとっては物乞いではありません。
たしかに彼ら彼女らもややしつこいですし、正直に言えばキーホルダーも不要です。
ですが、それでも「私たちは真っ当な仕事に就けないけど小物作りはできるから」と言いながら(正確にはそう書いた紙を見せながら)売り歩いている姿は応援したいと思います。
※「声が出せないだけならもっとコスパのいい仕事があるのになぁ」とは思いますが
最後に
日本国内では滅多に見かけない「物乞い」ですが、ジョージアを含めた海外ではよく見かけます。
子どもは年齢的に仕事に就けないので仕方がないと思います。
できることなら、親などの保護者がある程度の年齢まできちんと勉強できる場を与え、ちゃんとした収入を得られるようにして欲しいところですが、世の中には子どもにとって害でしかない保護者がいるのも事実です。
だから私は子どもには基本的に甘いです。
ただ、泥棒は別です。
海外の法律がどうなっているかわかりませんが、文明が存在する国ならば人の物を勝手に盗むことが罪でないはずがありません。
その程度の分別は学校に通えないこととは無関係に理解しなくてはなりません。
だから私は子どもであっても、泥棒にはお金を与えません。
また、大人の物乞いに対しても私は否定的です。
働ける年齢でお金が欲しいなら働くべきです。
たしかにけがや病気で働けないことはあるでしょう。
ただ、物乞いたちは道端で見知らぬ人に臆面もなくマネーマネーと手を伸ばしているんです。
それができるなら、他にもっとコスパのいい稼ぎ方があるはずです。
最後に。
もう一度念のために言っておきますが、当記事は強制するつもりはありませんし、「これが唯一絶対の正解だ」と主張しているわけでもありません。
「私はこう思う」という内容です。
物乞いにお金を与えるのも与えないのも、あなたの自由です。
ジョージアには「物乞いにお金を上げなくてはいけない」という法律も、「物乞いにお金を上げてはいけない」という法律もありません。