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意識高い人は本当はバカで無能 行動理由の多くは自信のなさ だから偉くもすごくもない

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「意識高い系」と揶揄される人たちは、能力が高そうに振る舞いますね。

 

似たようなタイプに「意識高い人」がいます。

 

当記事ではこの2つを明確に区別します。

 

この前提がわからないと、言っている意味が理解できないので最初に伝えます。

 

意識高い系は、やれ「億り人」になるだの、やれ「エヴィデンスをレジュメにアウトプットする」だの言い出すものの、実際には結果に結びつく行動をしていない(何かしていても圧倒的に足りずにいつまでたっても目標に到達できない)人たちです。

 

一方の「意識が高い人」は、意識高い系と同じように大きな夢や目標を掲げますが、実際に行動している(具体的に目標達成までの計画があり、それを実行できている)人です。

 

意識高い系がバカで無能なのは誰の目にも明らかですが、そうではなく実際に行動をしている人も実は自分自身をバカで無能だと思っていることが多いです。

 

どういうことか説明します。

 

 

 

自分に自信があったら行動しない

 

夢があり、目標に向かって行動しているということは、現時点ではそれが達成できていないということです。

 

だから意識が高い人の大半は「こんなんじゃ足りない」と半ばストイックに努力します。

 

「努力すること」を才能だと表現するのであればその才能だけはあるかもしれませんが、能力がないからこそ人より多く努力してなんとか目標に辿り着こうとするんです。

 

 

逆に自分に自信があったらどうでしょう。

 

すでに自信があるのなら、もう何もしなくていいですよね。

 

趣味にお金を使いだしたり、それでも使い切れなくなったら知らない人に配ってみたりするでしょう。

 

※特定の誰かを指しているわけではありません

 

また、自信はあるのに結果が伴っていない場合は「俺を正しく評価していない」と不満を口にしたりします。

 

おわかりでしょうか?

 

評価されていないと口にしている人は、自分に自信があるんです。

 

少なくとも、現在の収入や地位、その他周囲の評価が自分の能力・スキルに見合っていない、つまり自分の能力は他者が思うよりもすごいんだと思っているということです。

 

私の言わんとすることが伝わっているでしょうか。

 

 

「努力できて偉いね」が嘲笑に聞こえる

 

全員とは言いませんが、「努力できて偉いね」「努力の才能があっていいね」と言われることを侮蔑と捉える意識高い人は一定数います。

 

理由は前述の通り、「努力して現状を変えなければならない状態だから」です。

 

努力はあくまで目的を叶えるための手段です。

 

努力せずにヘラヘラしながら「偉いね」とか言われると「俺は努力なんかしなくても十分な人間だがお前はそこまで努力しないといけないんだな」と言われているように聞こえたりします。

 

 

努力は偉くない

 

何度も言う通り、努力はただの目的を叶えるための行動にすぎません。

 

むしろ努力していることは欲望丸出しな姿と言ってもいいでしょう。

 

特に親や学校の教師・会社の上司から押し付けられたノルマ以外での努力は、自分が叶えたいという目的のため、つまり自分のため・自分の欲望のためです。

 

だから努力は何も偉くないです。

 

別に褒めることじゃないんです。

 

 

すごくもない

 

「毎日〇時間努力しています」「眠いけど頑張りました」というすごいでしょアピールのツイートがネットの世界に溢れています。

 

でも、上述のように自分の欲望のための行動なので他人にはどうでもいい話です。

 

さらに言えば、「私は効率よく努力できていません」「時間の使い方すら満足にできずに睡眠時間を削る暴挙に出ています」というだけです。

 

すごいことじゃないので褒めなくてOKです。

 

 

最後に

 

意識が高い人は自分自身をバカで無能だと思っています。

 

バカで無能だからこそ、人より努力をしています。

 

自信がないからこそ、努力でそれを補おうとしています。

 

 

 

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