芸能人の不倫問題などの不祥事は異常なまでに叩かれますね。
不倫そのものを認めるわけではないですが、芸能人だからといってあそこまで執拗に追い込む必要はあるのでしょうか。
私はそもそも、芸能人に聖人のような生き方まで望んでいません。
もともと芸能界はそういう「常識外れ」な世界だったはずです。
「有名人は影響力があるから」と言う方もいますが、変な行動をした有名人をまねするようなやつは元々変な感性を持っているんです。
有名人がやらなくてもそのうちどうせやらかします。
やらかした言い訳にちょうどいいので「有名人がやっていたから」と口にしているだけです。
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芸能人は一芸に秀でた人だったはず
最近ではそうでもないような気がしますが、芸能の世界というのは何かに秀でた人がその秀でた技術を見せる(魅せる)世界だったはずです。
歌舞伎などの世界であれば顕著ですが、早い段階から限られた世界で研鑚を積むことで我々を魅了してくれています。
逆に言えば「常識に疎い」というのも芸能人あるあるだったはずです。
実際、以前は常識的なクイズに珍解答を連発する番組が人気だった時期もありました。
いつの頃からか一般常識がなければ許されず、些細な問題でも針小棒大に叩かれ、不倫などの大きめの問題が発生しようものなら人格ごと否定されて二度と立ち直れないほどに攻撃されてしまうようになりました。
おかしくないですか?
特に芸人の「テレビでのセリフ」に一般常識は必要なのか
芸人がバラエティ番組で口にしたセリフが問題になることが増えています。
確かに相手を不快にさせる差別発言は問題にすべきです。
ですが、本当に些細な、言った側も言われた本人すらも差別的意図を汲み取っていないようなどうでもいい内容まで問題視されることが出てきました。
もう問題視している側が「他人が差別してくれないと気が済まない」ような気がします。
言われた側が傷つかないのであれば「なんでだよ」「そんなわけないだろ」というツッコミで終わらせていいのではないでしょうか。
コントの設定にまで文句を言う奴がいる
炎上を再燃させたいわけではないのでぼかしますが、コントの設定に「ありえない」と文句を言っていることが話題になりました。
コントですよ?
コントって、芸人にもよりますが大なり小なり非現実的な要素があるじゃないですか。
漫才もそうですが、その非現実的な要素を突っ込むことで笑いになっているはずです。
コントの設定まで文句を言われるのなら、近い将来コンビのボケのほうは「非常識」、ツッコミのほうは「虐待」と言われるんじゃないでしょうか。
アイドルに一般常識は必要なのか
アイドルが非常識な言動をして(アイドルファンの間で)炎上するケースがあります。
※ただ、炎上する内容は「食べ方が汚い」などのどうでもいいことばかりです
基本的にアイドルは「歌手と比べると歌唱力が足りず」「女優と比べると演技力が足りず」「外見がかわいい」という存在です。
※もちろん例外はあります
未成年の頃から馬車馬のように働かせ、満足に学校にも通わせずバイトや部活などの青春活動をさせなければ、ちょっと常識が欠けるのは当然です。
「長年働いているなら常識があるはずだ」と反論する人もいますが、アイドルが働いているのは一般企業ではなくかなり特殊な芸能界という世界です。
そんな世界しかしらない幼い子に常識を求めるのは「非常識」ではないですかね?
明らかに常識を学ぶ期間が少ない彼女たちに人間として聖人であることを望むのは期待しすぎな気がします。
というか...
芸能人は芸をテレビ(や舞台)で披露しているだけで、テレビ上での姿と私生活の姿は基本的に別物です。
テレビは実写であってもフィクションの世界だと考えることはできないものなのでしょうか。
タレントがテレビで何を言おうとも、それは「セリフ」であり「台本ありき」です。
アドリブの発言だったとしても本人が本気で主張したい内容であることは限りません。
いちいちそんなどうでもいいことを細かく拾って揚げ足取りをしなくてもいいのではないでしょうか。
最後に
ということで、私は芸能人が品行方正であることを望んではいません。
漫才やコントで出てきた設定・セリフやバラエティでタレントが口にしたセリフは「社会を先導する言動」になっているとは思っていませんし、外見が魅力的な幼い子の常識が欠けていても「でしょうねカワイイネ」と思うくらいです。
※繰り返しますが差別発言や犯罪自慢は別です
芸能人に聖人であることを期待するのは無茶振りすぎませんか?
芸能人は別に「全てに優れている人」ではありません。
むしろ一部に秀でており、さらに日夜それを磨き続けるという仕事である以上、それ以外の部分が多少疎かになったとしても不思議ではない気がします。
最後に念のためもう一度繰り返しますが、当記事では芸能人の差別発言や犯罪行為等の「本当の問題」を擁護するものではありません。
それは常識がなくても問題にしなくてはならないものですし、相応の罰を受ける必要があります。
ただし、そうであっても我々一般人による私刑ではなくしかるべき公的機関や本人の関係者による制裁であるべきです。