日本は世界的に見て先進国であり有能な国であるとされる一方、現実には経済的に苦しんでいる人もたくさんいますよね。
かなり前から「格差が広がっている」とされており、新型コロナウイルスでトドメを刺された貧困層が多いとも言われています。
日本は実際に「仕事がなく、今日食べる食事にも困っている」という絶対的貧困は少ないとされていますが、ネット上では似たような事を口にしている(自称?)貧困者は多いです。
※絶対的貧困と相対的貧困は後述しています
そして、経済的に裕福な人たちはこう言います。
「選ばなければ仕事はある。選り好みするからそうなるんだ」と。
このセリフを上から目線のお説教でウザいと感じる人はたくさんいます。
というか、このセリフを聞いて
「そうっすよね。よし、がんばるぞ」
なんて考えられる人はそもそも貧困を嘆いたりしないでしょう。
ただ、私は
「そうだよね。ウザいよね」
と慰める側の立場ではありません。
むしろ
「ウザい?そらそうでしょ」
と思っています。
大前提として
この手の話は極端な人たちが文句を言ってくるので予防線を張ります。
まず、けがや病気などののっぴきならない事情の人たちは対象ではありません。
治療が必要な方は仕事を休んで治療に専念してください。
中途半端に仕事をスタートさせると、労働時間に対して対価が少ない上に治療も進まないという散々な結果になります。
国や地方自治体の制度で使えるものは全て使って治しましょう。
周囲に助けてくれる家族や仲間がいるのなら、「一時的に」力を借りましょう。
※その際には最大限の感謝を伝えてください。そして治療が済んだら借りた力を返しましょう(≒恩返しをしましょう)
当然ですが、「メンタル系」の病気も上記に含みます。
私にとってはメンタル系の病気も風邪や骨折と同じ話なのですが、世間では未だに「そうでない人」がいるようなので敢えて記載しています。
書かなくても当たり前に理解できる世界になって欲しいですよね。
ただし、「私はうつ病なんすよ」「俺ってADHDなんすよ」と病院にも行かずに声高に自称している人たちを私は病気だと認めません。
その理由は「医師の診断を受けて治療をしていないから」です。
治療しなければ治りにくいです。
治らないとは言いませんが、自己判断で簡単に治療できる類のものではありません。
そして多くの自称する人たちは、治すつもりがなく「自分は〇〇だから多少問題を起こしたりサボったりしても許される」という言い訳に使っているように見えます。
私はそれが納得いきません。
実際にこの手の自称する人に「病院に行って治そうよ」と言うと「精神科はなぁ~www」とバカにした口調で拒否します。
私には「メンタル系の病気を差別しながら自分は自称して言い訳に使う」という最低の人間に見えます。
※もちろん自称しつつ病院に通って治療をしている人は別です。それは自称ではなくカミングアウト・公言です
貧困とは
日本の(自称)貧困者は、正確には「相対的貧困」に苦しんでいます。
相対的貧困とは、絶対的貧困との比較で使われる言葉です。
絶対的貧困は、国・地域などにおける周囲の人の生活レベルとは無関係に、必要最低限の生きるための費用が捻出できない状況を指します。
一方の相対的貧困は、住んでいる国・地域などにおける周囲の人の生活レベルと比べて劣っている状態を指します。
数値的に言えば「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分以下」などが該当します。
※指標はいくつかあるようなので上記の指標のみで判別できるものではありません
上記の分類で言えば、日本には絶対的貧困に苦しむ人はほとんどいません。
※全くいないとは言っていません
貧困だと語る人の大半は、相対的貧困に苦しんでいます。
「相対的貧困は衣食住には困っていないけど絶対的貧困と同じくらい深刻」だとして、支援団体は寄付などを呼びかけています。
たしかに、(特に自分でお金を稼ぐすべを持たない)子どもたちの相対的貧困は辛いです。
自分で稼ぐ手段がほとんどない小学生くらいまでの子どもが相対的貧困な家庭だと、周囲との違いに「なんでぼくだけ/わたしだけ?」と苦しむことになります。
でも、今の日本では情報は手に入ります。
子どもの頃に苦しい思いをしたのなら、なおのこと「大人になったらそうならないようにしよう」と思うんじゃないですかね。
ちなみに、私はまさに「相対的貧困な家庭の子ども」でした。
勉強のためなら多少お金を用意してくれましたが、ノートに余白を作ることを禁じられ、新しくノートやペンを購入する際は使いやすさより安さを重視し、自分で買いに行く場合は領収書(レシートではなく)が必要でした。
高校では入学式より前にバイトの面接に行きました。
初めてのバイト代の額を見て「お金を稼ぐのってこんなに簡単なんだ」と驚いた記憶があります。
「自分にできたからって他人ができると思うな」という人もいるかもしれませんが、私からしたら「私ほどの無能ですらできたんだから他の人ができないはずがない」と思ってしまいます。
「選ばなければ仕事はある」は事実
コンビニ、配送業(郵便局含む)など、人手が足りない業種はあの2020年にすら存在しました。
現在は飲食業も(新型コロナウイルスで離れた人が戻ってこないため)人手不足だとされています。
ということで、選ばなければ仕事はあります。
「選ばなければ仕事はある」をウザいと考えている人もこの事実そのものは否定していませんよね?
ブラックは嫌
「選ばなければ仕事はある」をウザいと考えている人は、「そりゃあるにはあるけどブラックでキツいから嫌だ」という事だと思います。
運転免許がなければ配送業は難しいですし、交通事故の危険もあるし荷物の積み下ろしもやるなら体力も必要だし長距離トラックは家に帰れないって言うし・・・と、やりたくない理由はたくさん挙がるでしょう。
私もイヤです。
※配送業をバカにしているわけではありません。むしろ私自身がやりたくない仕事を請け負ってくれていることに感謝をしています
コンビニ店員もやることが増えたのに給料(時給)が低く、客層も悪いので嫌という人も多いでしょう。
私もイヤです。
※コンビニ、便利ですよね。ありがたく利用させていただいています
「ブラックは嫌」は自己責任では?
正直、「仕事を選べるのならばこの手の仕事は避けたい」という人は多いですし気持ちもわかります。
ですが、貧困層で「ブラックは嫌。それ以外の仕事がないから働けない」というのは自己責任だと思います。
もちろん、日本政府や昭和・平成を生きてきたおじさん・おばさんのせいで経済が傾いているという主張はわかりますし、正しいのでしょう。
ではそれと「あなたが仕事を選べない状況」というのは「完全に同じ問題」なのでしょうか。
今の時代でもやりたいことを仕事にしている人はいますし、やりたくない仕事であっても経済的には裕福な人もたくさんいます。
やりたくなくて低賃金な仕事にしか就けないのは、経済が低迷していることだけでなく「あなた自身の能力」にも問題がありませんか?
プログラミングができるならプログラマとして働けますし、何なら独立してフリーランスとして働くことも可能です。
プログラマの場合は派遣であっても高単価の仕事がたくさんあります。
プログラマなら派遣社員として働く場合、時給制で1時間あたり2000円前後の案件がゴロゴロしています。
能力や内容によっては3000円を超えるものだってあります。
当然ながら残業代もフルで出ます。
税引き前の1か月の給料は30万円以上になることが多いです。
もちろんプログラミングはあくまで例であり、他にも就職・転職・独立が有利になるスキルは山のように存在します。
そのスキル一つすら持たずに、そしてこれからもそれらスキルを身に着けようとすらせずに、「自分には何もできません。年も重ねました。ラクで単価の高い仕事がしたいです」は通らないのではないでしょうか。
私は「何のスキルも持っていない」ことは「(自分には非がない)仕方がないこと」ではないと思います。
新卒以外ならば、何らかの「あなた自身を売り込める武器」がなければ買いたたかれるのは当然です。
スキルがない人は死ねってこと?
この手の話を貧困層に語ると、
「スキルがない人は死ねってことなの?」
と逆切れしてきます。
当記事をすべて読んできた方ならおわかりと思いますが、私はまず第一に「仕事を選ぶな」と言っているんです。
「ブラックしか選べないならブラックでも働けよ」ということです。
ブラックでもなんでも働けばお金が手に入るので死ぬことはなくなります。
もちろん仕事は辛いでしょうし、得られるお金も少ないのでやりたいこともできないでしょう。
それが嫌なら「今からでもスキルを取得しようよ」というのが私の主張です。
今この瞬間にスキルを持ち合わせていないのは変えようがありません。
ただ、将来もスキルを持たないままでいるかについては未確定ですよね。
ブラックな仕事しか選べないのが嫌ならば、自分のやりたい仕事(ラクに稼げる仕事がやりたいのならそれも含みます)の会社に採用してもらえるようなスペック(スキル保有者)になればいいじゃないですか。
過去に行動してきておらず、さらに今も、そして今後も行動しないのに、いっちょ前に「政府が悪い。最低時給を上げろ」と叫んでいることに疑問は感じないのでしょうか。
実は私も昔この手の人間でした。
どのくらい昔かというと、まだ小学校に通っていた頃です。
言いたいことが分かりますか?
何もせずに文句だけを言う人は、デパートでダダをこねている子どもと同じじゃないの?と言いたいんです。
なお、当然ですが私の言っている「スキル」は資格を持っていることには限定しません。
就職活動時には目に見える資格という証明書は武器ですが、働き始めたら実際にその資格内容を実践できなくては意味がありません。
また、資格という目に見えるものがなくても「実際にできる」という状態も十分なスキルです。
就職活動でそれを証明したいのなら、「成果物を出す」が最も明確です。
プログラミングスキルを見せたいのなら「javaができます」と口先だけで語るよりも「javaでこれを作りました」と完成品を見せるほうが効果的なのは言うまでもありません。
最後に
私は自分がスキルも持たず、スキルを得るための行動もせず、そのうえで「ブラックは嫌。仕事は選ぶ。その結果自分を採用してくれる会社がない。終わった」と嘆いている人に強い疑問を感じます。
今の時代、上手くいっている人たちの大半は「そのために行動した人たち」です。
新卒時に就職活動を頑張った人かもしれませんし、その就活を有利にするために高学歴になろうと頑張った人かもしれません。
そこで失敗したものの一念発起してスキル取得を頑張ったかもしれませんし、会社員という生き方ができずに自分の思い通りにできるフリーランスや起業を選択したかもしれません。
ほぼ全員が、多少の運があったとしても運だけでのし上がったわけではありません。
もちろん、貧困に悩む人たちが頑張っていないわけではないのでしょう。
でも「自分なりに頑張った」のだとしても、結果として足りていないからそうなっているんです。
ダイエットでキレイな体を手に入れた人や服のセンスを磨いたというのが自身の持つ唯一のスキルだと言うのならそのジャンルで働きましょう。
ただ、そこを頑張っても事務職や技術職の就活ではさほど有利にはなりません。
※外見がいいほうが採用率は高いですが、あくまで技術などその他の実践面での評価が横並びの場合の話です
ちなみに「収入が少ないから節約生活を頑張った」というのも「そう、大変だったね」と言葉をかけてもらえるかもしれませんが、仕事のスキルとしてはあまり評価されません。
総合的に見て「頑張ったこと」があるのは間違いないですが、あなたがそこを頑張ったという事実と希望している仕事ができるかどうかに関連がなければ就職活動という面ではあまり意味はありません。
だから「生活を頑張る」以外に仕事を選べるようになるためにも頑張らなくてはならないのではないのだと思いますよ。