日本という恵まれた国に住んでいながら「仕事がなくて辛い」と言う人はとても多いです。
そしてそれに対し「選ばなければ仕事はある」と口にする人を「上から目線www」とバカにしてスルーし、また「仕事がなくて辛い」と呟くお仕事に戻る人たちがたくさんいます。
「選ばなければ」の部分を文字通り受け取って、目についた最初の仕事を「内容も吟味せずに」「自分の適正も確認せずに」飛び込むのはクレイジーなバカです。
当たり前ですよね。
そういうことも言わなきゃダメなんですか?
それとも、それはわかった上で反論したくてバカを演じているのでしょうか。
「選ばなければ」の意味
当たり前ですが、「選ばなければ」は数ある選択肢の中からランダムに(または先着で)という意味ではありません。
「選ばなければ」は「選り好みしなければ」の意味です。
これでもたぶん理解できないんでしょう。
もっとわかりやすく言いましょう。
「望んだ待遇がないからやらない」という選択をするなという意味です。
「疲れず、短時間で、高収入で、楽しく、そしてやりがいがある」
もしそういう仕事を求めているのなら、無理なので現実を見てくださいとしか言えません。
自分の能力(資格・スキル・得意分野・年齢・性別などあなたに備わる全ての要素)を加味した上で、足切りにならない(つまり書類を送った時点で断られない・形だけの面接で落とされない)仕事は存在しますよね。
それらの仕事すらないというのはありえません。
だってコンビニや飲食業は人手不足なんですから。
これらの業種の仕事を「ちゃんと教わってもできない」というのであれば、おそらくあなたは何らかの欠陥があります。
病気や怪我などであれば、今は働くタイミングではありません。
ちゃんと治療しましょう。
国や自治体の用意している制度をフルに使い、可能であれば家族や知人の助けも借りて治療に専念してください。
※助けてくれた家族や知人には最大限の感謝の言葉を送り、完治し働けるようになったらお礼をしましょう
心身ともに健康なのに、特別なスキル(資格や技術)が必要ではない仕事すら「できない」と言い出すような人は「甘え」と言われても仕方がないのではないでしょうか。
目の前の選択肢が嫌ならば
あなたにもし資格がなく、技術的なものも何一つないのであれば、就ける仕事は好ましいものではないでしょう。
辛い仕事だったり労働に対する対価が低かったりするでしょう。
でも、それは仕方がないです。
あなたも悪いです。
もちろん政府や昭和から平成にかけて社会の中心にいたおじさんおばさんが現在の低迷する経済の一因ではあります。
ですが、今の時代に適応して(多少愚痴はありながらも)経済的に問題なく生きている人たちはたくさんいます。
そういう人たちは「親ガチャに当たった」「運が良かった」というタイプだけではありません。
親ガチャに外れても乗り越えた人はたくさんいますし、不運を乗り越えた人だってたくさんいます。
ほぼ全員が、今の環境に合わせて努力してきています。
「頑張る」の種類を理解しているか?
経済的に苦しい人たちは生きているだけで大変なので「俺/私は頑張っている」と思ってしまうでしょう。
確かにそれは頑張っていないわけではないのでしょうが、その頑張りは就職活動で報われるタイプの頑張りではありません。
日本では古来より「幸・不幸に関する質量保存の法則」のようなものが信じられてきています。
私が言っているこの法則というのは「不幸が続いたら幸せがやってくる」「幸せが続いている人はどこかで不幸に見舞われるに違いない」といったオカルトのことです。
経済的に苦しい人たちは、「毎日必死に頑張って生きているのだから、俺/私は報われて当然だ」と思ってしまう傾向があるようです。
※全員がそうだと決めつけているわけではありません
日々を(節約などを)頑張って生きることと、就職してから会社で行うことになる仕事には関係性がありません。
だから生きることを頑張ったその労力は、仕事には活かせません。
だからどんなに生きるのが大変でも、就職は有利にはならないんです。
※生い立ちを話せば面接官の同情は買えるかもしれません
私がここで伝えたいのは、「自分なりに頑張ってんすよ」の頑張っている対象が就職活動や仕事内容に反映されるものなのかを考えようという話です。
もしそうでないのなら経済的な面ではその頑張りは評価の対象にはならないよ、ということです。
望んでいる仕事のジャンルが決まっているなら、そのジャンルの企業が欲しくなるような人間になれるように頑張りましょう。
その頑張りの内容はスキル取得かもしれませんし、関連企業での下積みかもしれません。
ジャンルによって、そしてあなたが望む地位によって求められる内容は大きく変わります。
あなた自身が変わらず(何も持たないまま)、ただ「俺/私を雇わないのはヒドい」と言ってもそれは無理です。
この世に存在しない待遇を求めていないか
「望みの仕事がない」のは、あなた自身の能力が足りていないからというパターンの他に、実在しない仕事を探しているケースがあります。
この手の最も多いケースは「やりがいのある仕事がしたい」です。
特にブラックな仕事に就いていて毎日生産性のない繰り返しに嫌気が差している人がこの手の事を言います。
でも、そういう人の大半は「やりがい」を具体的に定義できていません。
「社会に役立つこと」をやりがいというのなら、どんなブラックだろうとあなたのしている仕事は社会に役立っています。
自分がやった行動がどう社会に役立っているのかをあなた自身が知らないだけです。
仮にそれが「古いファイルの並び替え」だろうと「穴を掘って埋める作業」のような仕事だろうと、です。
そもそも、会社があなたに給料を払っているのですから、経済を動かしているという意味であなたは立派に社会の役に立っています。
「いやそうじゃない。仕事そのものが目に見えて役に立っていないとやりがいとは言えない」と言うのであれば、それがあなたにとっての「やりがい」の定義です。
「やりがい」そのものは「行動(今回の場合は仕事)に対する充実感や手ごたえ」のことです。
そして充実感や手ごたえはとても曖昧なものなので、一人ひとり違います。
当然ながら、他人から「これはやりがいがあるよ」と与えられるようなことでもありません。
※他人から強制的に与えられた時点で「やりがい」は「面倒なノルマ」へと変貌します
自分にとっての「やりがい」が何か明確になっていないのに「やりがいのある仕事」を探しているのは「幸せの探究者」と同じです。
具体的に条件が明確になっていなければ、なんとなく仕事を探して好ましくない部分を見つけては「この仕事はココが嫌」などと言って選択肢から除外し続けてしまいます。
個人的にはそれは「やらない理由探し」に見えます。
この世に存在しない待遇の仕事を探すのはやめましょう。
最後に
「選ばなければ仕事はある」というのは、仕事を選ばず内容を吟味せずとにかく何でもいいから働けという意味ではありません。
あなたの現状で選べる選択肢の中からは選んでいいんです。
「選ばなければ」というのは、「俺/私のやりたい仕事がない」と言って選ぶことそのものを放棄するなという意味です。
そんなの当たり前だと思っていたのですが、現実でもネット(当ブログへのメッセージなど)でも、ご理解いただけていない人が多くいらっしゃるようです。
与えられた選択肢に望みのカードがないのは、政府や今の日本を作り出した大人たちにも問題がありますが、あなた自身にも問題があります。
望みのカードが得られないのは「この世に存在しない待遇」を求めているか「あなたの現状の能力が足りない」かのどちらかです。
前者であれば現実をよく見る必要がありますし、後者であれば要求されているレベルまで自分の能力を上げる必要があります。
相手のことを考えず「俺/私は今の無能のままだけどやりたい仕事をやらせろ」というのはわがまますぎませんかね。
最後に「努力がそんなに偉いのか」とお怒りの方へ補足させていただきます。
私はそんなこと一言も言っていません。
ただ、「望んでいる仕事の採用条件に自分の能力が足りていないのなら、その差を埋めるためにあなた自身が行動する必要があるよね」と言っているだけです。
あなたが現時点で努力するまでもなく望んでいる仕事・望んでいる生活を得られているのであれば、努力など不要です。
あなたが今いるその場所は他人にどう思われようと、あなたにとってのゴール・目的地・理想郷です。
幸せを十分に噛み締めてください。
繰り返しますが、不満があるのならそれを解消するためにあなた自身が行動する必要があります。
これを私は「努力」と呼んでいます。
だから努力することは偉いことでもなんでもありません。
自分の望みを叶えるための行動というだけです。