努力をしない人たちのほとんどは「俺には(私には)努力する才能がない」と言いますよね。
私自身、継続的な努力が苦手な人間でした。
体格的に恵まれていないのでスポーツでも活躍できず、人見知りなのでコミュ力も育たず、学校ではいるのかいないのかわからないような立ち位置でした。
ですが大人になった今、会社に縛られずに好きな時間に働き興味のあることに片っ端から挑戦できる生活が送れています。
周囲の人は「才能がある」と褒めてくれますが、私にはあらゆる才能がありません。
そんな凡人以下の私が才能のある人たちと勝負するためにできる唯一のことが、努力でした。
目次
努力するのは凡人が天才たちと戦う最も確実で簡単な方法
我々のような才能のない凡人が才能豊かな人と勝負するには何らかの武器を手に入れなければなりません。
もちろん現代社会での武器というのは武力ではなく、スキルや技術です。
努力というのは持っていないスキル・技術を習得する行為です。
努力が辛くて辞めたいなんて思わない
私は自分に才能がないとわかっていて、それでもできるようになりたいから努力で才能の差を穴埋めしています。
才能のない世界で戦うことは辛いと言う人は多いでしょう。
頑張ってもちょっとしか成長できないことを苦しいと感じる人もいるかもしれません。
ですが私はそうは思いません。
努力そのものは確かに辛いです。
私も語学の勉強をしていて数秒前に見た単語を思い出せない時などノートを放り投げたくなることが毎日のようにあります。
でも「だから努力しない」とは思いません。
努力の方向性を間違えていないのなら、時間がかかったとしてもいつかそのスキル・技術は手に入ります。
そしてそのスキル・技術を使うことで今より楽しい世界が待っているのであれば、辞めようという気にはなりません。
努力できる人も努力そのものはシンドイ
「努力できない」とドヤ顔で言う人たちの多くが勘違いしていますが、努力できる人も努力そのものはシンドいんです。
それでも努力できるのは、努力の先に得られる利益を見ているからです。
「努力する才能があっていいね」とヘラヘラしながら言う人たちは、きっと「努力できる人は努力そのものに快楽を感じる特殊な嗜好を持っているんだ」とでも思っているんでしょう。
そんなわけないです。
努力できる人は、「今の刹那的な楽しみ」よりも「努力の後に手に入る長期的な楽しみ」を優先しているだけです。
何が何でも「努力すべき」ではない
この手の話をすると、「根性論www」だの「精神論www」だのと茶化す人が一定数います。
メンタル自体は大切ですが、根性でどうこうしようという話ではないですし、常に全てにおいて努力を欠かすなという話でもありません。
自分が欲しいスキル・技術や今後必要なスキル・技術に的を絞り、さらに自分にとって理解しやすい方法・やりやすい方法でやるというのは当たり前の話です。
努力したいなら計画的に
つまり努力をスタートする前に「何のために」「何を」「どうやって」「いつまでに」などの情報を確定させるべきです。
※これを「計画」と呼びます
これがないと「努力は大切だから」というふんわりとした根性論的な思考で無意味なことに頑張った挙句、成果も出ずに「頑張っているのに報われない」という結果になります。
「私頑張ってるのに全然給料上がらないのぉ」と言っている女性が、話を聞いたら頑張っているのが「ダイエット」だったりします。
※実話です
「彼氏が欲しい」だったり「レースクイーンやスポーツ選手など体重が重要な仕事でよりよい成果を出したい」という目的であればダイエットも正しい努力でしょう。
デスクワークでは(完全に無意味とまでは言いませんが)明らかに遠回りですよね。
最後に
努力は才能のない凡人がスキルや武器を得るための最も手堅い手段です。
努力に才能は関係ありません。
正しい方向へ正しい方法で努力をすれば、そこそこの結果は出せます。
才能が必要なのはそれぞれのジャンルの一線で戦う天才たちだけの話です。
我々凡人は気にすることはありません。
また、「努力したら疲れる」というのは努力の才能がないことにはなりません。
努力している瞬間というのは「努力ができる人」でもシンドイものです。
そのシンドさと結果的に得られるメリットを天秤に乗せ、メリットが大きいと考えられる人が「努力ができる人」です。
「俺にはそこまで努力したいものがない」という方。
無理に努力する必要はありません。
あなたは今十分幸せです。
努力してまで得たいものがないのなら、そこがあなたのゴールです。
そこがあなたの最終地点です。
幸せを噛み締め、今の日々を楽しんでください。