「さとり世代」という呼び名が定着したかどうかは別として、今の時代は夢を語ることや夢を持つことに否定的な人が多くなった気がします。
夢を持つことはすごいのでしょうか。
それとも恥ずかしいことなのでしょうか。
そもそも夢って何のことでしょうか。
夢とは?
夢というのは多くの人が理解できている気になる言葉ですが、とても漠然としたものです。
基本的には夢=目的というのは一致していると思います。
ただ、なんとなく方向性は同じものの、人によってどこからが夢なのかの基準が違います。
たとえば「社会に貢献できる仕事に就く」というのはほとんどの人が夢と判断するでしょう。
では「毎日美味しいごはんを食べる」はどうでしょうか。
「毎週ドラマを見る」はどうでしょうか。
これらは人によっては「そんなの夢じゃない」というかもしれません。
ですが、今あげた二つの例は「幸せに暮らす」の具体的な表現です。
美味しいご飯を毎日食べられることは確実に幸せなことですし、ドラマを楽しむ心と時間の余裕があることだって十分幸せです。
本人がそれをしたいと願うなら、それは夢です。
夢は願いであり、他者と比較するものではなく、他者や社会に貢献できなくてもいいんです。
自分が望む「なりたい自分」が夢です。
そんな志が低いのは夢じゃない?
人によっては「そんな志が低いのは夢じゃない」と言うかもしれません。
でも、私からすれば逆です。
「志が低い願望」しかないということは、今が十分幸せで大層な願いを持つほど現状に不満がないからです。
現状が幸せなら、そこはすでにゴール地点付近です。
「夢が恥ずかしい」という間違った反応
特に大人になると、「夢」という単語を過剰に恥ずかしがる傾向があります。
「夢を語るのは子どもっぽい」「現実が見えていない」という反応をする人がとても多いです。
おそらくそういう人は、夢というものを「叶う事のない絵空事」だと思っているのでしょう。
夢というのは「自分がどうなりたいか」という願いです。
「自分がどうなったらうれしいか」という判断基準です。
自分の夢を自覚していないということはゴールが見えていないということです。
現代社会は、自分がどうなりたいのかわからない状態で日々流されるままに生きるのはとても困難です。
「流されるままに生きる」というのは「主体性を持たず他者に依存して生きる」ということです。
その結果、胴元・ルールメイカー(つまり政治家や会社の役員・上司)などの権力を持っている人に搾取され続けることになります。
流されるままに生き、自分に都合が悪い出来事が起きても「状況を改善させる」という願い(夢)を持たずに相手や環境に文句を言う。
それって、恥ずかしくないですか?
別に語る必要はない
実は「夢を恥ずかしい」と口にする人の中には、口にするのが恥ずかしいだけで夢そのものは持っている人がいます。
日本では古来より「不言実行」が美徳とされ、失敗を忌み嫌うあまり夢を口にしておきながら失敗するという「大言壮語」になることを恐れるという風潮があります。
そのため、夢を持ってはいるものの語らないという人は多いです。
個人的には口に出した方がモチベーションなどの都合で叶いやすいとは思いますが、自分でメンタルを管理できる人は口に出さなくていいと思います。
最後に
「夢」という言葉は多くの人が知っている単語ですが、明確な定義がありません。
「目的」または「目標」と同義に感じている人もいますし、「叶わない壮大な絵空事」と思っている人もいます。
「壮大な絵空事」を口にしてそれに向かって一切行動しないような人は「夢想者」と言われても仕方がないですが、それではなく「自分がどうなりたいか」という願いは全て夢だと思います。
「自分がどうなりたいか」という指標を持っていないと、どこに向かって進めばいいかわかりません。
何をしていいのかわからなければ、何が楽しくて生きているのかわからないと思い悩み、ただただ焦燥感や不安感ばかりが蓄積されていきます。
だから「ささいなことでいいから夢を持とう」と言う人が多いんです。
この「夢」は社会の役に立つことでなくてもいいんです。
他人のためになることでなくていいんです。
自分が楽しいと感じることでいいんです。
ちなみに私の夢は「猫と過ごす」です。
なお、当然ですが「何が楽しいか」という感情は変化します。
つまり「夢」は生涯で一つしか持ってはいけないものではなく、途中で変えていけないものではありません。
だから「猫と過ごす」が「犬と過ごす」に変わってもいいですし、全く関係ない「海外旅行をする」になってもいいんです。
夢に過剰反応する人は夢を大層なモノだと思い過ぎです。
もっと軽く考えましょう。