草薙龍瞬というお坊さんの書かれた「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な『考え方』」という本を読んでみました。
私は正直、過剰に反応してしまう側です。
ヤフコメを読んでイライラしたり、某超大型掲示板で煽る文章を見てムカムカします。
そんな私でも反応しないようになれるのか?という疑問でこの本を手に取りました。
当記事は私の主観と意訳が含まれた感想文に近い要約です。
著者の意図(さらにはその先のブッダの教え)を正しく受け取れず、曲解したり勘違いしたりしている可能性があります。
あなたにとって「使える部分」だけつまみ読みし、「何言ってんだ?」というようなところは「何言ってんだ?」と思って読み流してください。
目次
結論
「反応しない練習」から得られたものは以下の通りです。
・反応は無意味(なケースが多い)
・正しさは唯一無二ではない
・反応のほとんどは自分の欲が原因
他にも「なるほど」と思った内容は多いですが、「反応しないための考え方」に絞ると上記3点が特に重要だと感じました。
では、それぞれを軽く説明していきます。
反応は無意味
「反応してしまう自分をどうにかしなきゃ」というより、「反応することに意味がない」という事実を理解することが重要です。
ほとんどのケースでは、自分が反応する必要がなかったり、反応することにメリットがありません。
意味がないなら別に反応しなくていいはずです。
なお、「ほとんどのケース」は「全てのケース」とイコールではありません。
当然ながら反応すべきケースも存在します。
反応する必要のない例
たとえば、少年革命家が小学校や中学校に通わないことは直接我々には関係ありません。
また、芸能人が不倫したりアイドルに彼氏がいたからといって我々の実生活には影響ありません。
自分に危害が加えられるケースでは反応すべきですが、そうでないケースはスルーしても問題ないはずです。
正しさは唯一ではない
我々は自分の中に様々な基準を持っており、それを逸脱している人を「間違っている」と考えがちです。
ですが、別の側面から考えたら相手が正しいケースも多いです。
相手も同じ前提・価値基準を持っているという妄想
前提条件が違えば正しいかどうかは変わります。
今の時代、自分と相手が同じ前提で話し合っているとは限りません。
前提が違うと価値基準も変わります。
たとえば、とにかく収入が多ければいいという人もいれば、生活費が稼げる程度の収入があれば仕事量が少ない方がいいという人もいます。
人と一緒にいるのが好きな人もいれば、一人の時間が好きな人もいます。
趣味の時間をたくさん持ちたい人に「もっと働けば収入が増えるのに」と言っても意味がありませんし、趣味に使えるお金がたくさん欲しい人に「もっと仕事量を減らして趣味の時間を増やせばいいのに」と言っても意味がありません。
判断基準は白か黒かではない
高校までの教育は「正解か不正解か」でした。
ですが社会に出るとそういった極端な分類は意味がありません。
ある状況では正解だったものが別の状況や他人にとっては不正解だということは往々にしてあります。
反応のほとんどは自分の欲が原因
ネガティブな反応の多くは「相手を言い負かしたい」「自分を認めてもらいたい(自分が正しいと相手に言わせたい)」「自分の望み通りに相手を動かしたい」などの自分の欲求が原因です。
私は欲求そのものが悪いとは思いません。
何も求めず清廉潔白でいれば幸せだった時代と異なり、今は欲(望み・願い)に向かって行動することでより豊かで幸せな日々が送れると思います。
ただ、それはそれとして欲が原因でネガティブな気持ちになってしまうのは無意味です。
ネガティブな気持ちになると仕事も私生活も楽しめなくなります。
だからネガティブな反応をした際は「その原因は自分の欲が原因だ」と思い出しましょう。
「欲張りすぎている」と考え少し欲を抑えればネガティブな反応も減ります。
それはわかってるんだけど...
「反応は無意味」「相手と自分で価値基準が違うから正解も違う」「反応の原因は自分の欲求」...
これらは「言われてみれば確かにそうだ」と理解することはそれほど難しくありません。
ですが、「わかってはいるんだけど」と感じますよね。
わかっているけどどうにもならないのが「怒り」だったり「失望」だったりというネガティブな反応です。
正直、ブッダの教えは私には合いませんでした。
そこで私が利用しようと考えたのは「距離を取って現状を確認する」です。
※私オリジナルの発想ではなく様々な場面で言われていることです
ネガティブな感情に支配されている状況では冷静な判断はできません。
だからトイレに行く、軽く散歩をするなどとりあえずその場から離れます。
私はこれまで「状況を脳内で再現してヒートアップする」というネガティブなスパイラルに陥りがちでした。
ですがそうではなく、原因が自分の欲から出てきていることを思い出したり、相手の立場や好みなどを加味した判断基準を考えてみるようにしています。
はっきり言って、これを考えた初日から全てがうまくは行ったわけではありません。
気が付くと脳内劇場で大乱闘が起きていたり、脳内の相手にむかってトイレの個室で大声を出したりもしました。
これまで長年続けてきた習慣は、考え方ひとつ変えるだけですぐにまるっきり反転させることはできません。
だからゆっくりとちょっとずつ変わっていこうと思います。
最後に
「反応しない練習 あらゆる悩みが消えていくブッダの超・合理的な『考え方』」という本を読んだ結果、少しだけ以前よりネガティブな感情に振り回されることが減りました。
・反応は無意味(なケースが多い)
・正しさは唯一無二ではない
・反応のほとんどは自分の欲が原因
この3つは(私にとって)ついつい忘れてしまうことです。
なお、反応することに意味があるケースももちろんあります。
譲れない点を譲ってまで無反応な人間になろうとは思いません。
とりあえず芸能人の不倫や自分とは違う価値基準で行動する人への反応は私の「譲れない点」ではないので、そのあたりを無反応で過ごしてみようと思います。
ちなみに「反応しないこと」は無感動・無感情になったり、霞を食べて生きるということではありません。
余計などうでもいいことに反応しない分、自分のやりたいことや楽しいことに時間を割くことができるのが「反応しない」の最大のメリットです。