意識高い系の方々のツイートを見ると、「ジョブズが言っていた××、そう思う(意訳)」というただの受け売りが多いです。
私の知人には意識高い系が多いので実際に話をする機会が多いのですが、彼らはこれをアウトプットと思っているようです。
間違っています。
アウトプットはそういうのじゃないです。
目次
インプットとアウトプットとは
意識高い系の人や意識高い人の間では、インプットとアウトプットを多くすることが成長のカギだという共通認識があります。
ただ、その意味がやや異なっています。
インプットは日本語にすると入力、アウトプットは日本語だと出力です。
インプットは具体的に言えば、書籍や〇〇教室、セミナー、コンサルなどを通して得た「知識」のことです。
また、仕事や遊びなど普段の出来事から得られる感情などもインプットに含まれます。
そしてアウトプットは脳に蓄積したこれらの情報を外に出すことです。
ですが、ただ単純にインプットした内容をそのままツイートするのは間違っています。
友人に説明するというアウトプット
コンサルや書籍ではよく「インプットした情報を友達に説明する」というアウトプット例が紹介されていますが、これを文字数の限られるツイッターでやるとただ知った言葉を繰り返す作業に成り下がってしまいます。
本来の意味は、「インプットした情報を知らない友人に理解できるように説明する」ということです。
つまり何も前提知識のない相手にかみ砕いて説明する過程で、自分自身の理解を深め、独自解釈を交えて自分のものにしていくのがアウトプットなんです。
意識高い系の人たちはそれをせず、「ジョブズがこう言っていた。かっこいいよね」で終わってしまうから中身がなさそうに見えるわけです。
「自分はこんな名言を知っている、だからお前らより俺の方が賢い」という使い方は何の成長もできません。
実際にやってみるアウトプット
知識は実践してこそ価値があります。
「〇〇するにはこうすべき」というインプットを実践するのは当然として、それ以外のインプットについても自分なりに解釈し自分の行動に反映させてこそ知識は知恵として使えるようになります。
友人に教える際にも、ただ自分なりの解釈を言葉で説明するだけでなく、実際に行動に反映させた経験から語った方が説得力があるのは当たり前ですよね。
言葉よりも行動でアウトプットしたほうがインプットした情報を深く理解できます。
アウトプットしないネットコンサル講師たち
最近のネットでのビジネスはコンサルが人気で、「実践したら1人分しか稼げないがコンサルなら教えた相手数人が稼げるから経済的にもよい」という建前のもと、実戦経験がない(または圧倒的に足りない)人がネットコンサルを開いていたりします。
私はこの手の自分が稼げないのに講師をしている人たちが嫌いです。
実際にこの手の人に「中身がないならやるべきではない」をオブラートにくるんで伝えたところ「初心者よりはわかっているから初心者→中級者へのステップアップだけなら教えられる」「能力の高いプレーヤーが必ずしもいい指導者とは限らない。むしろ失敗した人のほうができない人の気持ちを汲み取れる」と返事がありました。
結果が出せていないなら講師自身が中級者ではありません。
その業界に長くいるだけの初級者です。
それに、成功経験のない指導者は小中学校の部活の顧問レベルの害悪です。
「失敗した経験を乗り越えた指導者」であればいい指導者になれるかもしれませんが、失敗して諦めた人に「こうすればいい」と言われてもそれが正解かどうかわかりません。
なぜインプットをそのままツイートする人が多いのか
読んだ本の一節をただただ呟くだけの人が多い理由は、日本の教育制度にあるのではないかと思っています。
日本の小中学校では間違いは悪としています。
テストでも正解を得点とし、間違いは許されず、点数が高い人が優秀で点数が低い人はバカとされます。
自分なりの解釈を交えたり発想を飛躍させることは評価されません。
その結果、学校を卒業しても「言われたことを正確に記憶していること」「言われた通りにやること」が正しいと思い込んでしまう人が多いのだと思います。
なお、これは教師自身に問題があるわけではありません。
今でも大きな負荷がかかっている教師に十人十色の答えが出る自分なりの解釈の評価まで任せることは不可能です。
また、会社員として上司の指示に従う「兵隊」はたくさん欲しいので、敢えて「言われた通りにやる」を絶対的なものとして教えている側面もゼロではないような気がします。
最後に
偉人の名言を受け売りで語ることはアウトプットではありません。
私の知人にジョブズファンがおり、彼はいつも黒いシャツとジーパンで過ごしているのですが、「アウトプットはそういうことじゃない」と伝えても理解してもらえませんでした。
偉人の名言を借りれば自分が優れているように錯覚できますし、その錯覚で楽しんでいる人はそれはそれで幸せなのかもしれません。
成長したいわけでないならそれもアリかもしれません。
でももし成長したいのであれば、自分の中で一度咀嚼する必要があります。
なお、自分なりの解釈や例を交えて説明した際、理解してもらえないこともあります。
ですがそれでも自分の中で考えて言葉にして説明するという過程は確実に意味があります。
1回だけ・1人だけに説明して終わりではなく、言い方や例を変えたり相手を変えて説明を繰り返せばどんどんその知識への理解は深まります。
学校のテストと違い、説明を失敗したり相手に理解してもらえないというのは致命的な間違いではありません。
インプットで得た情報は自分の言葉でアウトプットしてみましょう。