SNS全盛期の現代社会では、「承認欲求」は悪いこととされています。
「そんなこと思ってない」という人であっても、「承認欲求高いね」と言われたらムッとするのではないでしょうか。
そもそも「欲」という単語そのものが「我慢すべきもの」「他人に見せてはいけないもの」とされている気もしますね。
喧伝すべきものではないのかもしれませんが、我慢すべきものではありませんし、消すべきものでもありません。
良い承認欲求と悪い承認欲求
承認欲求というのは、「認めてもらいたい」という欲望です。
社会生活では複数人が集まるため、常に優劣の差が生まれます。
そして優劣がつく以上、そこに「認めてもらいたい」「自分のほうが上だと思われたい」という感情が湧くのもまた当然です。
そしてその欲求は自分の能力を上げるためのモチベーションになり得ます。
「認めてもらいたいから資格を取ろう」という心の動きは「良い承認欲求」です。
これはモチベーションを上げるきっかけになっているからです。
一方、同じ「認めてもらいたい」という欲が原因でも悪いパターンがあります。
他人の悪口を言って「周囲の評価を下げることで相対的に自分が上の立場になる」という行動などは成長にはつながりませんし、社会・組織にも悪い影響があるので「悪い承認欲求」です。
また、本来の目的とは関係ないどうでもいいことに関しても認めてもらいたいと考えるのも良いパターンとは言えません。
目的に沿った行動のモチベーションになるなら良い
ネット上で「承認欲求さん(笑)」とバカにされることが多いものの一つがインスタグラムでの自撮りです。
「彼氏と一緒に写っている」「おしゃれなかっふぇーでお勉強をしようとしている」「河原でバーベキューをしている」などなど。
この方々の目的は何でしょう。
もし周囲に「陽キャダネ」と言ってもらうことが何よりも優先される目的なのであれば「彼氏や友達がいることを周囲に伝えること」は正しい行動です。
そしてそれを続けるためにダイエットをして魅力的な体型を維持したり、煌びやかな衣装を買い集めてセンスを磨くことはいいことでしょう。
行動が一貫しているのであれば、無関係な人から「承認欲求さん(笑)」とバカにされても気にする必要はありません。
問題があるケースは「陽キャダネ」と言われることが人生の目的ではない方です。
他にやりたいことややるべきことがあるのに「陽キャダネ」と言われることがうれしくてそこから離れられなくなっているのは、いわゆる「過剰行動」と呼ばれる無駄な行動の一種です。
過剰行動とは、「ダイエットをしたいのにお菓子を食べてしまう」だとか「勉強しなくちゃいけないのにうっかりYouTubeを見続けてしまう」など、やりたくないのについやってしまう減らしたい行為のことです。
こちらのケースは別の方向に目を向けるようにすべきでしょう。
具体的な別の方向とは、自分自身の「生きる目的」です。
「自分がどうなりたいのか」という目的に沿った方向で承認欲求を満たそうと考えれば、自ずとその目的に沿った行動をできるようになるはずです。
承認欲求そのものをなくす方法はないし、なくす必要もない
世の中には「どうすれば承認欲求をなくせるか」という本が大量に出回っており、(当ブログのような)ネットの記事でも「承認欲求をなくす方法」がたくさんあります。
ですが、そもそも承認欲求はなくせるものではありません。
「欲をなくす」というのはそれを突き詰めることで生活が保障される宗教家・哲学家くらいです。
しかもその手のスペシャリストがそれだけを考え続けても数年から数十年がかかります。
そもそも承認欲求は「生理的欲求」「安全欲求」などの上にある個人のアイデンティティにかかわる欲求です。
それをなくすなんてとんでもない。
自分が自分でなくなってしまいます。
最後に
ということで、承認欲求はなくすことができません。
なくすのではなく、目的に沿った方向で承認欲求を満たそうと考えるべきです。
仕事やビジネスで最終的にどうなりたいかを考えたり、そもそも生きる上で自分はどうなりたいかという理想を言語化してみてください。
そしてそのジャンルで承認欲求を満たそうと考えましょう。
そうすれば、承認欲求を満たすというモチベーションにより目的に向かって行動できるようになります。