学生時代、出来のいい子どもほど親や教師から「期待しているぞ」と声をかけられたことでしょう。
ですが、それはほとんどの場合「勉強」か「部活」で上位に行くことを指しています。
それ自体は素晴らしいことではありますが、それは本当にあなたがやりたいことですか?
学生時代にやりたいことを犠牲にして親や教師の言いなりになるのは決して「幸せな将来」が約束されているわけではありません。
目次
勉強も部活もできたほうがいい
当記事は「言いなりになるな」という内容ではありますが、勉強や部活は無意味だと言いたいわけではありません。
大学や大学院に入るためには学力が必要で、企業に就職するのであれば令和時代もまだまだ学歴がモノを言います。
部活は体育会系・文化系に関わらず将来の特技として自身の魅力の一つになり得ますし、学生時代に大会などで上位入賞したという「成功体験」は大人になってから大きな大きな武器になります。
伝えたいのは、大切な学生時代を「親に言われて」「教師に言われて」という思考停止状態で生きないでほしいということです。
期待しているぞ
親や教師はこのセリフを「子どもが喜ぶポジティブなセリフ」と考えて使っています。
実際、「期待されている」というのは本来は相手を評価してのセリフなので、言われて嬉しいと感じる人は多いです。
ただし、学生時代は親や教師の勝手な理想を押し付けられていることがあります。
「勉強できることがいいこと」「部活で成果を出すことがいいこと」という、内申点が高い状態を良いと考えて、子どもにただそれだけを求めている大人はとても多いです。
本当の意味
そのため、「期待しているぞ」は実際に期待しているのではなく、親や教師自身が望んでいると言い換えられます。
「(俺の思い通りに問題を起こさず行動してくれることを)望んでいるぞ」ということです。
大人は尖った子どもにはなってほしくない
散々多様化の時代と叫ばれていますが、結局親は自分の子どもにトリッキーな人間になって欲しいとは思っていません。
それはある意味当然で、偏った才能を磨いていると大きくなって現実的な将来の夢を描いた際に変更が難しいからです。
漫画家になりたい・YouTuberになりたい・アイドルになりたいなどのアーティスト系を考えるとわかりやすいですが、夢を諦めたときに学力があったほうがリカバリーは簡単です。
一方、教師はもっと単純です。
言われた通りに行動する、自己主張の少ない子どもは管理しやすいからです。
特に勉強や部活に関しては周囲の子どもからも一目置かれるため、特に指導をしなくても模範的な児童・生徒でいてくれることが多いです。
これらの理由により、親も教師も基本的には尖った才能よりも勉強や部活で優秀な成果を残すことを望んでいます。
もちろん、全ての大人がそう考えているわけではありません。
子どもの自主性を重んじ、サポートしている大人はいます。
ただ、子どもは自分で親や教師を選べないのでどちらの大人が自分の周囲にやってくるかは天に任せるしかありません。
両方やるしかない
周囲の大人が「期待しているぞ」を「(言う通りに行動することを)望んでいるぞ」という意味で使っている場合、勉強や部活もそれなりにこなしつつ自分のやりたいことも続けるというかなり過酷な学生時代を過ごさなくてはありません。
過酷ではあっても不可能ではありません。
子ども時代の経済格差
ただ、子ども時代は特に経済力に関して大人になってからよりも大きな格差が存在します。
数値で見るとそれほどではありませんが、子どもと大人ではお金の価値が違います。
たとえば大人になってからは1万円はそれほど緊張せずに使える額です。
ですが多くの子どもにとって、自分がやりたいことに1万円を投資するのは失敗できない挑戦になります。
そのため、親が子どものやりたいことに理解があるかどうかで「道具をそろえる」「専門書籍を買う」というスタートラインから違ってきます。
道具が自分にあっていなければ本来楽しいはずのやりたいことそのものを嫌いになってしまうくらい足を引っ張ります。
「好きならどんな状況でもやり遂げられる」と思う人もいるかもしれませんが、それは完全に没頭できるほどの想いを育てきり、スキルとしても一定のレベルを越えてからの話です。
好きになる前には、「なんか面白そうだな」という興味を持つという段階があります。
そこで道具や大人の言葉によって足を引っ張って芽を摘み取ってしまうと、開花できたかもしれない才能が埋もれてしまうばかりか、子ども自身も「苦手なモノ」と認識してしまう危険すらあります。
子どもの頃に経済的理由で断念させられることはとても不幸なことです。
子ども自身はどうしたらいいか
親や教師を説得してやりたいことをやるのがベストですよね。
そのためには、自分のやりたいことへの熱意をアピールするだけでなく、親や教師の望みも叶える必要があります。
つまり、「勉強はちゃんとやるからこれを買って」というやつです。
もちろん言葉だけでなく結果を示す必要があります。
まず最初にある程度の勉強・部活の成績を確保してから、「これを維持(またはさらに上を目指す)からやりたいことをやらせてほしいと」というのが王道です。
なお、大人の多くは子どもがやりたがっていることをよく知りません。
それがどうすごいのか、将来的にどういう意味があるのかなども含めて大人に理解させることが必要です。
つまりそれは親や教師に向けてプレゼンをするということです。
自分がやりたいことのメリットや魅力をアピールし自分にどうしてそれが必要なのかを理解させることができれば、親や教師はサポートしてくれるようになるでしょう。
最後に
私の親は「期待しているぞ」という言葉で私が進学校で好成績を収めることを望み続けました。
父は実際に私に向かって「俺の言う通りにすればいいんだ」と怒鳴りつけたことがあります。
親は親で将来を考えてくれてはいますが、言いなりになると特徴のない平凡な人間になってしまいます。
ちなみに、学力が高ければ企業への就職が有利になるのは事実ですが、たとえば「海外ノマド」のようなトリッキーな生き方は「高学歴なのにもったいない」などと言われ風当たりが強くなります。
私は外こもり中に、外こもりをしている同種の人から「えー高学歴なのにもったいなーい」と言われたことがあります。
最近では高学歴芸人・高学歴アイドルなどが増えつつありますが、それでも大半は「高学歴を棒に振った」という表現をされてしまいます。
人によっては「起業」すらも「高学歴なのになぜ博打するのか」と言います。
つまり高学歴になっても職業の選択の幅が広がるとは限りません。
自分で考え、本当にやりたいことを見つけましょう。