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努力できるのは才能という勘違い 無能の底辺はやらない言い訳を見つける天才

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「努力できるのは才能だよ」と言われることがあります。

 

よく落ち着いて、それを言っている人を見てください。

 

底辺、いわゆる「努力をせずに人生を歩んできたことで苦しい生活をしている人」ではないですか?

 

少なくとも、結果を出している人はそんなこと言いませんよね。

 

というか、結果を出している人のほとんどは努力をしています。

 

努力を努力と思っていない人もいますが、少なくとも底辺さんたちより行動しています。

 

 

 

努力できることは才能ではない

 

断言しますが、努力できるかどうかは才能とは無関係です。

 

ここで言う「才能」とは、「持って生まれた資質」という意味です。

 

生まれによって「どうしても努力することはできない」となる人はいません。

 

 

絶対に誰もが努力をした経験がある

 

思い出してください。

 

あなたは自転車に乗れますよね?

乗れるように努力しませんでしたか?

最初から補助輪なしで一度も転ばずに乗れましたか?

 

もっと前の話をしましょう。

 

あなた、この世で最も難解と言われる日本語を読めていますよね?

ひらがな・カタカナ・漢字が入り混じった上に単語で区切られていない文章をスラスラと読めるようになるまで、子どもの頃に努力をしているはずです。

 

あなた、二本足で歩けますか?

最初はできなかったはずですよ。

 

これらは「努力を努力と思っていなかった」というケースもありますが、「できないことをできるようになる練習をした」という意味で間違いなく努力です。

 

 

努力は辛く苦しいものという勘違い

 

学生時代に思うように学力が伸びなかった人たちは、「努力=勉強」という意識があり、さらに「勉強=他人から強制される辛く苦しいもの」という感覚が紐づいてしまっています。

 

ある意識高い系の知人が「努力はネガティブな意味だから使わない」と語っていましたが、それこそがまさに勉強できなかった人のトラウマによるものです。

 

たしかに「できないことをできるようにする練習の時間」は、「何も考えず好きなことをしてダラダラ過ごす時間」よりも辛く苦しいケースが多いです。

 

ですが、焦点を当てるべきは行動中ではなく、行動の先の結果です。

 

努力によってできないことができるようになるのであれば、それはネガティブなはずがありません。

 

 

目的があいまいな努力は辛い

 

「努力できない」と思い込んでいる人は、努力を「ただがむしゃらに行動すること」と考えていることがあります。

 

どうなりたいのかが定かでないと、「穴を掘って埋める罰」のように空虚な気持ちになったり、本来の目的とは異なる方向に進んだりします。

 

何がゴールなのかはっきりしていないと、何を学べばいいか、何を練習すればいいかがわかりません。

 

その結果、「なんとなくそれっぽいこと」を繰り返して結果が出ずに落ち込むことになります。

 

 

時間とストレスを天秤にかける

 

「できるだけ効率よく」または「できるだけストレスを感じないように」行動しましょう。

 

どんな犠牲を払ってでも早く叶えたい目的が存在するのなら、効率重視で努力すべきです。

 

ただしそれには相当のストレスがあるはずです。

 

時間に余裕があるのであれば、ストレスによって挫折しないレベルでゆっくり努力するという選択肢のほうがいいかもしれません。

 

 

最後に

 

「努力できるのも才能」と言っている人は努力を苦痛だと勘違いしている人たちです。

 

ですがそういう人であっても、二本足で歩いたり自転車に乗ったり、ゲームを上手にプレイしたり箸でごはんを食べたりできています。

 

それらは努力をせずに最初からできた人はいません。

 

もちろん人によって目的を達成するまでに必要な努力量は違います。

 

また、努力をする際に受けるストレスの許容量も異なります。

 

ただやみくもに行動するのは「地図のない航海」と同じです。

 

目的にあわせ、時間とストレスの許容量を考え、自分にできる努力の方法を考えましょう。

 

 

 

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