子どもの頃の学校の宿題は、忘れると何らかの罰がありましたね。
昭和の頃には「校庭〇周」だったり「廊下に立ってろ」だったり。
平成・令和の時代にそれはないと思いますが、それでもみんなの前で怒られたりはされたことでしょう。
あれは「その環境内に限れば」いいのですが、将来大人になった時に問題が発生します。
罰で行動させるのはその場限りにしかならない
「勉強しなかったら罰する」というのは、罰を与える人がいない場で行動できない人を育成してしまいます。
大人になってからは誰からも「勉強しろ」とは言われませんし、当然勉強をしないことで罰を与えてくる人もいません。
その結果、「本当はやりたいんだけど」という漠然とした思いを持ちつつも「罰則がないなら明日でいいや」と先延ばしになり、いつの間にかモチベーションもなくなりやらずに終わってしまいます。
罰や恐怖で押さえつけたらサボる
当然なのですが、教師や親に監視されないと行動できない人は彼らがいない場でサボります。
本来であれば、自分の為になる行動は自分から動けるようになっていなくてはなりません。
ですが恐怖で強制的にやらせた場合、その恐怖がなくなったら好き放題に(つまり勉強などの行動をしない)ようになります。
大人になったら勉強ができなくなる
※「勉強」と言っていますが、もちろんこれは国語数学理科社会という意味ではなく資格の勉強などのスキルアップや、ダイエットなどのあらゆる努力を要する行動を含みます
恐怖によって行動してきた大人は、何かを勉強する際に「これができなかったら〇〇を捨てる」などの罰を計画に盛り込むことがあります。
ですが、自分で設定しているのであまり効果がありません。
最初の段階で「なくなっても惜しくないもの」を設定すれば意味がないですし、「本当になくなったら困るもの」を設定しても、しんどくなったときに「やっぱなし」と軌道修正できてしまいます。
じゃあどうする?
使い古された方法ですが「目的とメリットを明確にさせる」に勝る方法はありません。
勉強はそもそも自分のためにするものです。
だから、「勉強をした結果どうなるのか」を明確にさせて自らそこに行きたくなるようにするべきです。
大半の人は理想論だと思うでしょう。
子どもは目の前の誘惑に克てないので、目的・メリットを理解させるのは難しいかもしれません。
ですが、「だから無理」と思考停止してしまうと、大人になっても子どもの頃のままに「怒られないと行動できない」「上司の目が届かないとすぐサボる」という行動になってしまいます。
大人になってからでも考え方は変えられる
子どもの頃に恐怖によって無理やり勉強させられていた人は、大人になってから「罰以外で行動する」ことはできないのでしょうか。
もちろんできます。
目的を持って行動できるようになります。
子どもの頃に染み付いた思考回路はすぐには変えられませんが、意図的に変わりたいと強く願って行動すればゆっくりとではありますが変わります。
多くの人は今までとは違う行動をし続けなければならないという負荷に耐えられません。
すぐに結果が出ないため、「どうせ俺には無理だ」と諦めてしまいます。
せめて2週間、毎日やってみてください。
今後の行動が大きく変わるのであれば、今後死ぬまでの数十年のうちの2週間くらいは頑張れるのではないでしょうか。
最後に
罰で勉強を強制させる方法は、罰を与える人がいる場では効果を発揮しますが、その人がいなくなれば強制力がなくなり行動しなくなります。
そしてその人の目が届かないところでサボろうとしたり、行動しているフリで誤魔化そうとします。
そうではなく、そもそも「何のためにやるか」を明確にし、自分にとってどんなメリットがあるのかを理解すれば、モチベーションは高まるはずです。
目的が明確ならば罰を設定するまでもなく、その目的に辿り着くために試行錯誤をして行動するでしょう。
「そこまで強い意志の目的なんて持ってない」という人もいるかもしれません。
そういう人は、「今のままでいいのか、それとも目的を達成したいか」をよく考えてください。
それでも「今のままでいい」と判断するのなら、それはもう今の時点がゴールです。
幸せなことですので、今の日々を楽しんでください。
政府が、親が、環境が悪くて地獄のような日々を強いられていると考えている方。
たしかにあなたにとってよくない状況なのでしょう。
ですが自分の行動で状況は改善できます。
面倒でしんどくて遊ぶ時間もなくなりますが、その地獄のような日々から抜けられるかもしれないならやってみたくないですか?