「親ガチャに失敗した」というキーワードがネット上で話題になっています。
要は「親のせいで俺の人生めちゃくちゃだ」という昭和の言い訳の焼き直しなわけですが、「ガチャ」というナウいワードを使うことでイケてると勘違いしている人が多いように見えますね。
※意図的にバカにしてます
「経済が停滞して格差が生まれた」などともっともらしい言い訳をしていますが、江戸時代までは士農工商という明確な身分制度による格差が存在しましたし、昭和の時代にすらお金持ちと貧乏人には大きな差がありました。
令和になって貧富の差が激しくなったというより、ネットなどの発達により貧富の差が見えるようになっただけのような気がします。
「親ガチャ」には経済面ではなく子どもへの愛情の与え方なども含みますが、児童相談所の介入が必要な危機的状況を除外すればそれは「多様性」で済むレベルに感じます。
「親ガチャに失敗した」とは何か
ネットを眺めてみると、「親ガチャに失敗した」と声高らかに宣言している方々はなんだかんだでそこそこの暮らしをしていることがわかります。
残念ながら人生は横一列ではないので、上を見ればいくらでも上がいますし、下を見ればいくらでも下がいます。
自らネットに発信している内容以外を窺い知ることはできないので正確なところはわかりませんが、私には「SRだったわーこれハズレだわーSSRがいいわー」と言っているように見えました。
ちなみに「SR」「SSR」はそれぞれガチャのランクを表しており、SRはスーパーレア、SSRはスーパースペシャルレアなどと呼ばれ、SRよりSSRのほうが高ランクであることを意味します。
実際、「親ガチャに失敗した」と口にしている人の言う「親ガチャに成功している人」は「親が超金持ちで際限なく自由にお金を使える人」など、ほとんど「白馬に乗った王子様」と同じ空想クラスの人を指しているようでした。
そうでなくても「政治家の二世」だったり「皇族」だったりと、明らかに特殊な状況の人をSSRの子としていました。
「親ガチャに失敗した」人は、政治家二世や皇族の何を知っているのでしょうね。
本当に「苦労もなく幸せに生きている」と思っているのでしょうか。
私も政治家二世や皇族の実際の生活はわかりませんが、嫉妬で怒り狂った人に「何の苦労もない幸せなやつ」扱いされている時点でそこそこ大変な人生ではないかと想像しています。
親が違うから何なの?
なぜか日本では「全員が横並びでいることが幸せ」という不思議な主張をする人が多いですね。
でも、スタートラインが違うのは当たり前です。
「親」は「人」です。
「人」は全員違います。
経済的にも、考え方も、ありとあらゆることが違います。
「親ガチャに不満がある」
・・・だから何なんでしょうか。
子どもは親の言いなりなんでしたっけ?
「親ガチャに失敗したわー」と言っている人は親の言う事に全て従ってきたんですか?
たしかに子どもの頃は経済的に親に依存しているため、やりたいことをやらせてもらえないことが多かったと感じる人もいるでしょう。
でもそれは「みんな大なり小なり不便だった」というだけの話です。
それで人生が左右するほどのことはありません。
人生が左右したのは、親を言い訳に「やらない」という選択肢をした本人の甘さが原因です。
どんなにお金があろうと本人が真面目に勉強しなければ医学部だのなんだのには入学できませんし、高給取りにもなりません。
何もしなかった人にどこまで想像できるかわかりませんが、塾に通わなくても日本の大学レベルならどこでも入れます。
もちろん片手間にとは言いません。
塾で効率的に学ぶよりも独学の方が圧倒的に効率が悪いのは事実です。
でも「不可能」ではないです。
大変なだけです。
それを「親ガチャに失敗したら何をしても無駄」などと語るのはダサくないですか?
私には言い訳にしか見えません。
塾に通ったら今の人生変わってましたか?
そもそもあなたは、「勉強をしたかったのにできなかった」のですか?
宿題を辛うじていやいやながらこなした程度で予習復習もやっていないのではないですか?
予習復習はお金がなくてもできます。
そして予習復習をこなせばそこそこ学力は上がります。
お金があれば本当に人生変わりましたか?
お金があれば勉強したんですか?
塾に行っただけでやる気がなくても難関大学に受かると思ってます?
参考書なんかなくても、学力は上げられるんですよ。
だって教科書は持っているんですよね。
で、学校には各教科の専門の教師までいるんですよ。
使い倒しましたか?
教師が「ちょっとお前ばっかり構ってられない」と拒絶するレベルまでわからないことを全部質問しましたか?
学校を例にしましたが、他のことも基本的に同じです。
「親ガチャに失敗した人」は自分に与えられた資産を使いこなせずに他人を羨ましがっているだけではないですか?
それ、昔の言葉で「隣の芝生は青い」と言うんですよ。
結局子どもの頃に真剣にならなかったから人生が終わっているだけじゃないですか?
自由に使えるお金があれば、もっと遊んでもっとダメダメな人生を送ったんじゃないですか?
「そんなことはない」って思います?
知ってますか?
日本という国は、「先進国の中では低い位置」かもしれませんが、後進国を含めたすべての国の中では今でも上位の国なんですよ。
その恵まれた「生まれ」をちゃんと使い倒しましたか?
最後に
私は「親ガチャ」そのものは存在していると考えます。
「親」というのは「人」です。
全く同じ「人」なんて存在しないので、「親」もそれぞれ違います。
考え方も経済状況もそれぞれ異なるのだから「親ガチャ」つまり「親ごとに差がある」のは当然です。
「親ガチャ」という言い方に問題があるかどうかはここでは議論しません。
私の主張は「親はそれぞれ違うのだからスタートラインも違う」という点です。
そして、スタートラインが違うことに私は問題を感じていません。
「そういうもの」として受け取っています。
もちろん「虐待」などの問題は別です。
それはあってはならないことですし、可能な限り周囲が気付いて助けなければならない問題です。
ですが、実際に「親ガチャに失敗したわー」とこれ見よがしにネットで主張している人たちの大半は「自分より(表面上)優れている家庭を羨ましがっているだけ」のように見えます。
努力すれば逆転できるようなレベルのことまで問題視する必要はないと思います。
また、「親が経済的に恵まれていれば人生勝ち組だった」というのは大きな大きな誤解です。
親がどんなに裕福でも本人が行動しなければさほど変わらない負け組人生に堕ちます。
どんなにお金を積んでどんなに有能な塾へ通っても、本人に勉強する意思がなければ真面目に講義を受けないし行き帰りに遊び呆けます。
だからあなたの人生がうまく行っていないのは親ガチャのせいではありません。
あなたが子どもの頃に真面目に頑張らなかったからです。
「親ガチャに失敗して人生終わった」というのは、言い換えれば「パパ・ママのせいでぼくくんの人生おわった」です。
わかりますか?
いい加減、親に甘えるのはやめましょう。
自立してください。
自分で自分のことをしてください。
大丈夫です。
まだ間に合います。
あなたの年齢がわからないので、もしかしたら結婚したり正社員になるのは無理かもしれません。
でも自分だけが楽しく幸せに生きられればいいのなら、今からでもなんとかなります。
親に不満をぶつけてないで、さっさと歩きだしましょう。