人生の岐路に立った際、どちらを選択すべきか迷うことは多いですよね。
たとえば進学先を選択する時、就職活動をするとき、社会人になってからも転職すべきかどうかや大きなプロジェクトに参加すべきかどうかなど選択肢はたくさん出てきます。
人生はゲームにたとえられることが多いですが、もしゲームだとしたらクソゲーですよね。
セーブ機能はないし、選択肢を前に立ち止まっているとチャンスを失います。
どうしたらいいでしょうか。
私がどうしても選べなくなったときにするのは、コイントスです。
コイントスの指示には従わない
「コイントスをする」と言っておきながらコイントスに従わないというのは驚かれると思います。
説明しますね。
コインを投げて落ちてくるまでは一瞬です。
コイントスは表か裏かはっきり出ますが、このときに「表が出ろ」とか「表は出るな」と一瞬でも思い浮かぶことがあります。
これが自分の表層に現れていない思考です。
いわゆる直感のようなものです。
これに従います。
また、結果が出た時に「あー表かぁ」と思うこともあります。
そういうときもコイントスの結果に従わず、本当に出たらよかったと思うほうを選択します。
もちろんそういった感情がない場合はコイントスの結果に従います。
コイントスを使える選択肢
コイントスが使えるのは、ポジティブな選択の場合だけです。
たとえば「なんかテンションあがらないから学校休もうかな」という状況での「学校へ行く」「学校を休む」でコイントスをすれば、確実に「休む」が出ることを願いますよね。
上述の通り自分の感情を優先するのであれば、おそらくは学校に行くことはなくなってしまうでしょう。
※人によっては「そうは言っても行かなきゃな」と思い直せるかもしれませんが
学校に行かずに別の道を歩くという選択であればいいのですが、家でゴロゴロしたいだけで何の生産性もない日々を続けるならよくないです。
コイントスを使うタイミング
ポジティブな選択肢同士であってもいきなり使ってはダメです。
それぞれがどういうメリット・デメリットがあるのかなどを調べ上げた上でなお迷ったときに使うべきです。
自分の中に選択肢の情報がなければ選択できません。
たとえば「100万円手に入るかもしれない情報」「確実に10万円手に入る情報」のどちらかを選べるとき、いきなりコイントスしてはダメです。
私だったらまず「手に入るかもしれない」の確率や実際にどう行動するとその状況が生み出せるのか、「確実に」というのは労力が必要かどうか、再現性があるのか、何度も繰り返して使えるものなのかを調べます。
その状況でなおどちらかしか選べないときにコイントスで決めます。
神様に祈りは済ませたか
私はコイントスをするようなタイミングでよく「神様に祈りは済ませたか」と自分自身に問いかけています。
「神様」が登場すると途端に胡散臭くなりますね(笑)
ちなみに私は無神教です。
宗教へのお誘いではないので安心(?)してください。
昔どこかの自己啓発本で読んだ内容だったのですが、調べても大人気漫画・ヘルシングしか出てこなくてタイトルがわかりません。
内容は「神様に祈りをすること以外全てやり尽くしたのか?だったら神にでも祈って時間を潰しときなよベイビー(意訳)」というものでした。
この自己啓発本の著者はアメリカ人でしたが、日本でも「人事を尽くして天命を待つ」という同じようなことわざがありますよね。
ことわざ本来の意味とは少し違うかもしれませんが、私は自分でコントロールできることは全てやった状態であればあとは天に任せていいと思っています。
コイントスをする時に「自分の知ることのできる情報は全て調べた上で天秤が釣り合っている」という状況であればどちらを選んでもたいして変わりません。
自分ではもうこれ以上どうにもならない状況であれば、悩んでいる時間(つまり立ち止まっている時間)は無駄です。
どっちも同じ程度に魅力があるのなら、さっさと動き出した方がいいです。
最後に
迷った時はコイントス。
神様に祈るくらいしかやることがないほど調べ尽くして、それでも決められないならどちらを選んでも同じです。
コイントスの一瞬で自分の表層には出てこない不安や願望を引っ張り出して行動を始めましょう。
出た結果、「やっぱり逆がいい」と思うならその思いに従いましょう。
ただしコイントスをした後で「やっぱりちょっとどっちもまだ・・・」と足踏みするのだけはNGです。
どうせ迷っても神様に祈るくらいしかやることがないなら大切な時間を失うという無駄なことにしかなりません。