ジブリ映画「風立ちぬ」では、今では考えられないほどタバコを吸うシーンが出てきますね。
「風立ちぬ」という映画自体が公開されたのは2013年、つまり平成25年です。
すでにほとんどのテレビ作品でタバコを吸うシーンはなくなっていたこともあり衝撃を感じた人も多かったようです。
一体なぜ?
作品の時代背景を考えると「むしろ自然」な描写だったのかもしれません。
目次
タバコは今とは比べ物にならないくらい市民権があった
今の時代、喫煙者はとても肩身が狭いですよね。
ですが厚生労働省の公開する「JT全国喫煙者率調査」によると、昭和40年の時点で男性の喫煙率は82.3%となっています。
それ以前の信頼できるデータが見当たらないので正確には言えませんが、大正~昭和初期の時代はこれと同等近い喫煙率だったことでしょう。
タバコのシーンが溢れかえっているのは、当時を正しく反映していると言えるかもしれません。
学生服での喫煙
今の時代は学生服は高校生までなので学生服=未成年というイメージがあります。
ですが昭和初期の頃は大学生も詰襟の学生服を着ていました。
「風立ちぬ」には学生服でタバコを吸うシーンが出てきますが、二郎たちが通っているのは大学です。
大学生であれば成人している可能性もあるので一概に「未成年の喫煙!!」とは言えないのではないでしょうか。
ちなみに、作中の二郎は生年月日が明かされていませんが、モデルとなった人物と生年月日が同じなのだとすればタバコのシーンは関東大震災後のものなので二郎は20歳を超えている可能性がとても高いです。
問題の「結核患者の隣でタバコ」
「風立ちぬたばこ問題」で最も話題となるのが、物語終盤に菜穂子が寝ている隣で二郎がタバコをふかすシーンですね。
後述の通り、時代やその時の二人の関係を考えれば「ここでタバコを吸うシーンを描く必要があったのか」という問いに「絶対にNOだ」とは言い切れないところはあります。
健康とタバコの因果関係を知らない時代
「風立ちぬ」は大正から昭和にかけてが舞台です。
若い方は驚くかもしれませんが、当時はタバコと病気因果関係が「ない」と考えられており、病院ですらも禁煙ではなく医師の中にもタバコを胸ポケットに入れたまま診察をするようなことまでありました。
そのため、結核を患う菜穂子の隣でタバコを吸うことを当時は問題だと思う人が少なかったのだと思われます。
言うまでもないことですが、今はタバコが健康に害を及ぼすことは常識であり、「ジブリ映画で吸ってたから俺もオッケー」とはなりません。
特に結核など肺に問題があるのであれば副流煙も避けるべきです。
二郎は一度遠慮している
映画を見返すとわかりますが、二郎は一度外に出ようとしています。
それを菜穂子が「だめ、ここで吸って」と言っています。
さらに言えば、二郎と菜穂子はそもそもすでに結核の快復を諦めて「残りの時間を共に過ごす」ということに重点を置いています。
「タバコを吸うわずかな時間すら離れたくなかった」という菜穂子の心情を表していると考えれば脊髄反射的に喫煙シーンを否定することはなくなるかもしれませんね。
そんなに我慢できないものなのか
時代背景的には吸う事が問題でないのだとしても、二郎自身は菜穂子から離れて吸おうとしているため「タバコが害になるかもしれない」という思いがあったということになりますよね。
「一瞬も離れたくない」という気持ち、「タバコは結核に悪い」という気持ち、「それでもタバコは吸いたい」という気持ちが複雑に絡んだシーンということです。
それを踏まえた上でも、非喫煙者である私のような人間にはなお「そんなに我慢できないものなのか」という感想が出てきます。
当時は職場でも通勤中でもいくらでもタバコが吸えた時代です。
一生吸うなというわけではなく、菜穂子といるときだけ我慢すればよかっただけです。
依存というのは怖いですね。
最後に
「風立ちぬ」のタバコシーンについて紹介しました。
時代背景や二郎と菜穂子の気持ちを考えると、「タバコのシーンを描く意味」は確かにあると言えます。
「どうしてもタバコでなくてはダメだったのか」と言われると代替品がなくはないような気もしますが、そもそも「当時はそれほどタバコを悪いものだと想っていない時代だった」という点を考えると許容できる気がしますね。
私自身は非喫煙者なので依存の恐怖を理解できないので「我慢しろよ」と思ってしまいますが。
そして最後に。
「風立ちぬ」は現実の人物がモデルではありますが、あくまでフィクションです。
登場人物と実在する現実の人物は全てが一致しているわけではなく、作中の出来事や行動は現実で行われたものではありません。
フィクションと現実を混同しないようにしたいですね。