NHKドラマ「みかづき」の塾経営者である
大島千明(ちあき)。
演じている女優は誰でしょうか。
えげつない方法で大島吾郎を仲間に引き入れ
旦那にして逃げられないようにするなど
手段を選ばない人物です。
児童一人ひとりを大切にする吾郎とは
対照的に塾を大きくすることに執念を
燃やしています。
その理由は母親の仕事に関係がある
ようです。
詳しく紹介しますのでご覧下さい。
なお、この記事は原作小説を基に記述
しています。
一部、ドラマとは設定が違う可能性が
ありますのでご注意ください。
目次
ちあき(大島千明)を演じる女優は誰?
永作博美です。
童顔なので年齢がわかりにくいですが
なんと48歳です。
アラウンドフィフティーです。
びっくりしますね。
個人的には松本人志が出演したドラマ
「伝説の教師」の絹香先生が好きでした。
このドラマはもう18年も前のものですが
永作博美はあの頃と外見がほとんど変わって
いないような気がします。
プロフィール
名前:永作博美(ながさくひろみ)
生年月日:1970年10月14日(48歳)
出生地:茨城県行方市
血液型:B型
事務所:田辺エージェンシー
カリスマ塾経営者
教員免許を持っていますが教師には
ならず家庭教師として生計を立てて
いました。
当時まだ一般的ではなかった「塾」を
開校しようとしており、娘の蕗子が
通う野瀬小学校で話題となっている
「用務員室の守り神」の指導方法を
蕗子を使って偵察させています。
えげつない手法で大島吾郎を手中に収める
蕗子の偵察により大島吾郎の指導力を
知ったちあきは塾講師として引き抜きを
画策します。
ですが当時まだ塾というものが一般的では
なく、いい返事がもらえなかったため
えげつない方法を使います。
その方法とは、大島吾郎のスキャンダルを
学校に密告するというものです。
教員よりも用務員の教え方が上手いと
話題になることは教員にとってはいい
気分ではありません。
そのため教員の大半が大島吾郎を快く
思っておらず、そこにとんでもない
スキャンダルが入ってきたことで吾郎は
用務員の職を失います。
用務員として働いていた際は宿舎も完備
だったため、宿無しとなった大島吾郎は
文句を言うためにちあきの家へ行きます。
するとそこでは「塾講師になる大島吾郎の
歓迎会」をすると聞かされていた母の
頼子や娘の蕗子が笑顔で待っていました。
その場の雰囲気に逆らえず、大島吾郎は
なし崩し的に塾講師を引き受けることに
なってしまいます。
さらに、ちあきは吾郎と結婚しています。
塾講師として逃がさないように終身雇用を
目論んだのではないかと吾郎は訝しんで
います。
吾郎に相談せず塾の拡大を推し進めて不協和に
大島吾郎が一人ひとり違ったテキストを
作成しそれぞれに最適な指導を取って
いるのに対し、ちあきは塾の拡大に必死です。
吾郎に相談せずに勝見塾という個人塾との
合併の話を進めた際にはさすがの吾郎も
怒ってしまいます。
金儲けに必死な理由
それはちあきの母にあります。
ちあきの母・頼子はカフェの給仕をして
いたのですが、そこで軍の将校に見初め
られて結婚しています。
相手の両親も富豪だったのですが、
女給をしていた頼子を「卑しい商売の女」
としていびり倒していました。
その姿を見ていたちあきは「親の職業で
子供の人生が左右する」と考えていました。
そのため、塾を大きくしてお金持ちに
なり、娘に辛い思いをさせまいと必死
なのです。
なお、この時期のまだ小さい塾だった頃
娘の蕗子は「塾子」と言われからかわれて
います。
蕗子は聡明な子なので家でそのことを
言ったりしませんでしたが、極々まれに
その不満の端っこが口から漏れることが
あります。
塾経営で後ろ指をさされる!?
今では考えられませんが、当時の塾は
怪しいものとされていました。
当時まだ塾が一般的ではなく、文部省を
初めとした教育機関が「塾は悪」として
いたのです。
塾は子どもを食いものにする悪徳商売だ
塾は受験戦争を煽る受験屋だ
夜の塾通いは非行化する恐れがある
などなど、文部省はマスコミを味方につけ
言いたい放題でした。
それに踊らされた保護者は「怪しいけど
成績が上がるなら」と考え自分の子供を
塾に入れようとします。
しかし「怪しいならせめて大手へ」という
気持ちも働き、個人塾などの弱小塾は
厳しい状況となってしまいます。
当時、弱小塾は胡散臭い商売として
後ろ指を差される対象だったのです。
最後に
NHKドラマ「みかづき」のカリスマ
塾経営者・大島千明(ちあき)を演じるのは
永作博美でした。
昔から外見がほどんど変わらないですが
実はもう50近い年齢です。
見えませんね。
大島千明はえげつない方法で吾郎を手中に
収めたり他の個人塾と合併したりと
自分の塾を拡大させることに必死です。
その理由は「娘が親の職業で悲しい思いを
しないように」ということでした。
娘の蕗子はその思いを知ってか知らずか
子供時代にその不満を面と向かって言った
ことは一度もありません。
ですが学校では「塾子」と弄られたりと
かなり辛い思いをしていたようです。