朝ドラ「スカーレット」第64話では久しぶりに常治が十代田八郎と向かい合いました。
そこで常治は「夢を持つな」と語っています。
娘を持つ親として言わんとしていることはわからないでもないですが、私は夢を追いかけている側の人間なので「自分が叶わなかったからといって他人に口出しするな」と思ってしまいます。
当記事はほぼ自分語りです。
スカーレットに関する記事というより、「夢」に関しての私の見解です。
常治の過去
常治は妻・マツとの結婚を許されておらず、駆け落ちしています。
ちなみにマツはいいとこのお嬢さんで、常治はそこに出入りしていた業者でした。
常治にも夢がありマツを幸せにしてやろうと思っていたものの、結局何をやってもうまくいかず失敗ばかりの人生だと嘆いています。
そのため、喜美子が連れてきた男が陶芸家を夢見ていることに不安があるようです。
「夢を持つな」に一言言いたい
私には夢があります。
言葉も通じないような国で仲間を作ることです。
私には夢があります。
その仲間を、日本人と同程度の収入にして幸せにすることです。
私はいわゆる「外こもり」「海外ノマド」です。
その生活の中でやりたいことを見つけ、その夢を叶えるために行動しています。
私も親からは「そんなふわふわしたこと言ってないで就職しろ」と言われます。
「仕事なんてお金を稼ぐためのものなんだからつまらないのは当たり前」とも言われました。
私の親は昭和の人間なので、常治と同じような言動をしていました。
夢は叶う。努力をすれば
私にとって「夢」は「目的」と言い換えられます。
ですので「世界一の〇〇になる」とかいう非現実的なものではありません。
「目的」には達成するための道筋があります。
それが「目標」です。
私の夢の目標としては
・現地で暮らす
・現地で友人を作る
・現地の言葉を話せるようにする
・現地の人に日本語を教える
・現地の人に日本との仕事の橋渡しをする
というものが挙げられます。
もちろんこれらの目標を達成するためにさらに細かい目標を立てることもあります。
これらの目標は自分が行動すれば叶うものです。
「夢は叶わない」という人の多くは、目標を立てていないか、または非現実な目標を追いかけていることが多いです。
たとえば常治の場合、「マツを幸せにする」という夢がありました。
それは具体的にどういうことか、おそらく考えていないでしょう。
「白い大きな家を持つ」という夢を実現するためにどういう目標を立てたのでしょうか。
段階を踏んで目標を立てていれば、少なくとも「目の前にあるお金は全て使い切る」というクレイジーな行動にはならないはずです。
ちょっとお金が入ったらあかまつで周囲に奢るなんてこともないはずです。
私は「遊ぶな」と言っているわけではありません。
趣味を持つことや気分転換をすることは大切です。
ただし、それにも計画性がなければなりません。
夢は叶う
何度でも言いますが、夢は叶います。
「世界一の〇〇になる」「日本一の〇〇になる」という他者との比較が含まれる場合はさすがに誰もが叶うとは言えませんが、「陶芸家になる」「幸せになる」といった類のものであれば必ず叶います。
まず前者の「陶芸家になる」ですが、抽象的に拡大すれば「好きな仕事で食べて行く」ということになりますよね。
これは可能です。
「陶芸家として日本一になる」ではない点に注意するだけです。
もちろん簡単ではありません。
質の高い努力を長時間こなす必要があるでしょう。
後者の「幸せになる」はかなり抽象的なので「どういう状態が自分にとって幸せなのか」を考える必要があります。
たとえば常治は「妻に苦労をかけたくない」「白い家に住みたい」などを口にしていました。
このあたりは過不足ない収入が必要です。
収入を増やすには自分の仕事の価値を上げればいいです。
自分の仕事の価値が上がると、時間制で働いているのなら時給・月給を上げる交渉ができます。
単価制で働いているのなら単価や単位あたりの作業時間を短縮することになります。
夢が叶わない人
夢は叶わないと斜に構えている人たちこそ「ふわふわした夢しか持っておらずきちんと現実に落とし込んでいない」とか「無計画に生きている」ように思います。
夢を「目的」だと考え、そのための目標を段階を踏んで設定し、その目標を達成するために努力を重ねている人の夢は必ず叶います。
果たしてどちらが「ふわふわしている」のでしょうね。
ちなみに「夢は叶わないと嘆いている人」も努力をしていないわけではないことはわかっています。
ただし彼ら彼女らは「今の生活を維持するため、言われたことを必死で努力している」という状態です。
ある有名なアメリカ人はこれを「ラットレース」と喩えました。
回し車のようにどんなに頑張っても状況が変わらないことを表現したものです。
私はこの「ラットレース」という言葉に悪意を感じてしまうためあまり使いたくありませんが、「努力の方向性が間違っている」という意味では的を射た表現だと思います。
抜け出したいのであれば、違う方向の努力をするべきです。
最後に
朝ドラ「スカーレット」で喜美子の父・常治が十代田八郎に「夢を持つな」と語っていたのが気になって自分語りをしました。
私は夢だった海外移住を半ば成し遂げています。
まだ現地の人たちに日本人並みの収入を持ってもらうところまでは行っていませんが、この夢も道筋は見えているので近い将来達成できる見込みです。
私はよく他人から「才能があった」「運があった」と言われます。
私には才能も運もありません。
ただ単純に夢を目的だと認識し、その目的を達成するための目標を明確にしただけです。
私はその目標を達成するため、根気よく努力を重ねました。
何一つ特別なことはしていません。
非現実的な夢は叶いませんが、現実的なものであればほぼ叶います。
そこに才能も運も不要です。
どちらもあったほうが達成までの道のりはラクですが、必須なものではありません。
必要なのは「夢をどうしても叶えたいという気持ち」と「そのためにどんな努力でもする」という覚悟です。
日本人はやたらとバカにしますが、メンタルはとても重要です。