令和になった今でも「ヒット祈願」を行う団体は多いですよね。
とあるアイドルグループ系列は楽曲を出すたびにヒット祈願をテレビで放送するのが恒例となっています。
私が通っていた学校は曲を出していないのでヒット祈願こそしませんでしたが、「合格祈願」と称して全員で登山をするのが恒例行事でした。
あれ、意味ないですよね。
ヒット祈願は不要
よく考えてみてください。
もし次のシングルでヒット祈願をしなかったら、あなたは買わないんですか?
逆に、ファンでもないよく知らないアイドルが過酷なヒット祈願をしていたらそのシングルを買いますか?
中には「俺はヒット祈願しないなら買わない」「ヒット祈願してるからファンになった」という人もいるかもしれません。
でもどう考えてもそれは超レアな人たちです。
「超レアでもゼロじゃないならやる意味がある」と思いますか?
もっと先にやるべきことがあるような気がします。
具体的に言えば、ダンスの練習や歌唱力の上達、そしてメンバーたちのメンタル面のフォローです。
祈願を強要=パワハラでは?
あるアイドルグループのヒット祈願では、やりたくなさすぎて号泣したり、恐怖で体が動かずに達成できなかったメンバーが他のメンバーのファンから叩かれたことがありました。
この強要はもはやパワハラのたぐいではないでしょうか。
本人の意思でそれをすれば叶うと思って行う祈願ならいいですが、あきらかに嫌がっているのを強引にやらせるのは見ていてドン引きです。
学生時代の登山強要
私は学生時代、田舎の進学校に通っていました。
センター試験(現・大学入学共通テスト)の前には試験会場前で「エイエイオー」と雄たけびをあげるしきたりがあり、毎年合格祈願のために全生徒が裏山を登山するのが恒例行事でした。
休んだら罰として大量の宿題が課せられます。
3年生の合格祈願のために全生徒が駆り出され、休んだら罰が与えられるというのは今だったら大問題のパワハラですよね。
3年生の合格のために下級生が山を登る意味は何だったのでしょうか。
※今はこの学校の合格祈願は「希望者のみ」になっているそうです
信じる者は救われる
本人が信じることで「最後のもうひと頑張り」の際に力が湧くことはあるでしょう。
だから勉強やスポーツなどで神様にお祈りすること自体を否定はしません。
なので本人が信じて行っている祈願に対して「意味ないからやめろ」とは言いません。
ただ、本人がやりたくないことを周囲がヘラヘラと笑いながら強要するのは間違っていると思います。
最後に
ということで、「ヒット祈願」や「合格祈願」などの神頼みは本人が望んでやるべきものであり、周囲が強要するのはパワハラだという主張でした。
当然ながらこれは私の個人的な主張であり、「ヒット祈願があるから次も買う」という人の存在を否定しているわけではありません。
合格祈願についても、それが自信につながるのであれば試験当日の不安感を減らせる等、意味が全くないわけではないと思います。
私はやりたがっている人を否定しませんし、中止を強要する気もありません。