昨年、様々な迷惑をかけた「迷惑系YouTuber」のへずまりゅうがSNSからの引退を宣言しました。
さらに
SNSの世界からへずまりゅうは抹消しました。
今後は原田将大として真面目に生きていくので更生の邪魔はしないでください。
私は社会の為に頑張ります。
迷惑系という活動に限界を感じました。
メンタルもズタボロです
と語ったとされています。
しかしネット上では「自分は迷惑をかけたけど迷惑をかけられるのは嫌というのは許されない」と、現在の状況を「因果応報」だとする人が圧倒的です。
果たしてそうでしょうか。
最初に
当記事を書いている私の立場を明確にします。
私は、迷惑系YouTuberが大嫌いです。
他人に迷惑をかけたり騙したりして「笑いが取れる」と思っている人たちが嫌いです。
ということで、私は「へずまりゅうのファン」ではありません。
ですが、「だからへずまりゅうの邪魔をしよう」というアンチでもありません。
因果応報は自分のストレス発散の大義名分ではない
へずまりゅうに限らず、「何か過去に問題を起こした人」というのはその後何をしても叩かれます。
最近で言えば、多目的トイレを想定外の目的で使用したグルメお笑い芸人もそうですよね。
問題の行動そのものは糾弾されるべきです。
ですが人格そのものを否定したり、無関係の行動にまでイチャモンをつけるのはおかしいですし、ましてやイジメをしていいことにもなりません。
へずまりゅうに関して、地元高校生による盗撮やネット上での名誉棄損や誹謗中傷などが行われています。
これらの迷惑行動をしている方々は「ただ自分のストレス発散の道具にしている」という認識はあるのでしょうか。
2020年のあの教訓は適用されないのか
2020年は、多くの人にとってネットでの誹謗中傷について考えさせられる年でした。
何人もの著名人がネット上の誹謗中傷の犠牲になりました。
にもかかわらず、「過去に問題を起こした人」には何をしてもいいと思っている人が多いような気がします。
彼らには2020年の教訓は適用されないのでしょうか。
最後に
勘違いされないように最後にもう一度言っておきますが、私もへずまりゅうは大嫌いです。
迷惑YouTuberの動画は見るだけで吐き気がします。
へずまりゅうの動画は1回しか視聴していませんが、嫌悪感しかありません。
ですがその私自身の嫌悪感と、「相手に迷惑をかける行為を正当化できるか」には何の関係もありません。
過去に問題があるという事実を大義名分に自分自身がクズに成り下がりネットにその姿を公開している姿を見ると、迷惑YouTuberとそんなに変わらない気がします。
もし仮に、へずまりゅうこと原田将大が"最悪の結末"を選択した場合、彼をおもちゃにしている人たちはどう考えるのでしょうか。
それでもまだ「因果応報」と笑えるのでしょうか。
私はそういう人にはなりたくないです。